HOME.CONTACT.PRIVACY POLICY.
K.G-TOKYO.COM Registry Member
入会はこちら LOGIN
What's K.G-TOKYO.COM
WHAT'S K.G-TOKYO.COM

<ウクレレを楽しむ会-KG  レレ サウンズ便りー>

《4月の練習》
・3月に続き、今月も「Morning Dew」
 男性はまたメロディに戻りました。高音部のパートはソプラノにお任せです。
・「He Aloha No Honolulu」
 タヒチアン・ビートにだんだん慣れてきました(ですね?)
・「On The Beach at Waikiki」:新曲です。
・「白い花の咲くころ」
 〜黙ってうつむいてた おさげ髪〜の彼女は、今頃どこでどうしているのやら?

《マウイ・アイランダース》
関学OBの保田さんが中心のハワイアンバンドです。保田さんからお声がかかり、
先日、レレの会有志が例会に参加しました。みんなで歌や演奏を楽しもうと言う
趣旨のものだそうです。 機会があればときどき参加することも考えています。
−マウイ'アイランダースの イベントの予定−
5ノ13(日) 14〜 17 『PMC例会』 新百合丘ハワイアン・カフエ『ラ・ナイ』\1200(1ドリンク付)
6/17(日) 13〜 18 『麻生音楽祭』 新百合丘・麻生区市民館大ホール17バンド出演 (無料)
7/26〈水 )18〜21『新百合ホテル モリノBEERホール〜9/6まで毎週水曜出演 \3500飲放題
7/28〈土) 13〜 17 『ウイキ・ウイキ3ハワイアン・パーテイ』 読売ランド前  \4000食事付
8/11(土) 10〜 20 『ハワイアン・ナイト』 新百台・市民交流館『やまゆり』 \500(1ドリンク付)


ロノマクアです。
このまま船に乗せれば走り出しそう
クックの最後。
(画面をクリックすれば拡大できます)
キャプテン・クックの英姿。
バックの帆船の帆にご注目を!

《ハワイイの王さま》その2
  −プロロ−グ− (キャプテン・クック)
 1776年、キャプテン・クックを乗せたリゾルーション号は、僚船の
ディスカヴァリー号とともに、イギリスのプリマス港を出港しました。
クックにとって3度目の大航海です。 南太平洋地域を探索をしたこれ
までの2度の航海と違って、今回は北極海を通って太平洋と大西洋を結ぶ
航路を開くためのものでした。一行は、前回の航海で同乗したタヒチ人を
故郷のタヒチに降ろした後、北太平洋へ向かいましたがその途中、海図にも
載っていない島を見つけました。オアフ島です。1778年1月18日の
ことでした。クックはさらに船を北西に進め、1月20日、カウワイ島の
沖に投錨、ボートで上陸しました(上陸地点のワイメアには「上陸記念碑」が
あるそうです)。
 大きな船を始めて見た島の人々さぞ驚いたことでしょう。幕末、ペリーの
黒船を目にした浦賀の住民よりもびっくりしたかもしれませんね。 クックは
この諸島をスポンサーの海軍大臣サンドウィッチ伯に因んで、「サンドウィッチ
諸島」と名付けました。
 ヨーロッパ人と島の住民たちの最初の取引は、「真鍮のメダル」と
「1匹の鯖」だったそうです。島の人々は鉄を欲しがりました。実はクックが
ハワイイ諸島を発見する200年も前に、スペインの難破船がこの島に漂着し、
船にあった鉄製の品々を手に入れた島の住民は、鉄の便利さを知っていたのです
(ということです)。
 島の女たちは、1本の釘のために水兵に身を任せました。島の人が受け
取ったのは釘だけではありません。梅毒も一緒に・・・。

 しばらくこの島で滞在した後、カウアイ島を出港したクックの一行は、
北米・アラスカの探索を終え、11月にふたたびハワイイの海域に戻って
きました。オアフ島やマウイ島の周囲を調査したクックは、翌1779年1月、
ハワイイ島のケアラケクア湾沖に船の錨を降ろしました。
島では折から、農耕と豊饒のお祭り「マカヒキ」の最中でした。
「マカヒキ」の期間、島民は主神の「ロノ」の顔を据え付けられた
「ロノマクア」を飾ります。2本の長い木をTの字に組み合わせた
「ロノマクア」の横木からは大きな白布を垂らされています(写真を見て
ください)。
 彼らの間には、いつの日かロノが彼らの地に戻ってくるという言い
伝えがありました。マストに大きな白い帆を張った「レゾルーション号」は、
「ロノマクア」そっくり。帆船が近づくのを目にして、自分たちを救いに
「ロノ」が戻って来たのかと勘違いした島民がいても不思議ではないですね。
クックや水兵たちは、住民に最大の敬意をもって迎えられました。しかし
ある日、一人の水兵が病で亡くなりました。島民にとっては、死ぬのは人間
だけ、神は死なないものでした。「本当に彼らは神なのか?」疑問を抱く
ようになった島民と船員との間にいさかいが起きるようになりました。

 2月になり、クックは北極へ向けて島を後にしましたが海は大荒れ、
リゾルーション号のマストは折れてしまい、船は修理のためケアラケク湾に
引き返しました。戻ってきた一行を迎えた島民たちの態度は敵意に満ちた
ものに変わっていました。船の雑用艇が盗まれ、船の返還を求めクックは
ハワイイ島の王、カラニオプウを船に呼びつけました。そのとき、水兵が
島民の乗ったカヌーに向かって発砲、若い首長が命を落としました。
 島民は一行を取り囲み、この騒動の中でクックは殺害されてしまったのです。
 ハワイイ諸島を発見したクックの生涯はこうしてあっけなく幕を閉じました。
しかし彼の発見によりハワイイ諸島の情報が西欧にもたらされたことが、
その後のカメハメハ大王によるハワイイ統一につながり、さらによくも悪くも
この国の将来に大きく影響を与えることになるのですが、それは次回からの
話とします。

 最後に、クックにまつわるエピソードを一つ。「カンガルー」の話です。
ヨーロッパ人に動物の名前を尋ねられた現地人が「カンガルー(分からない)」
と現地語で答えたのをそれが名前だと勘違いしてしまった』ために「カンガルー」
がその動物の名前になったという話はよく知られていますね。
名前を尋ねたヨーロッパ人とは、エンデバー号の乗組員だったのです。
クックは彼の最初の大航海でヨーロッパ人として初めてオーストラリア大陸に
到達し、大陸周辺の海岸線を測量していていましたが、彼の乗ったエンデバー号が、
グレートバリアリーフの浅瀬に乗り上げてしまいました。
一行は修理のためしばらくその地に留まりましたが、そのときの出来事でした。 
 クックの大航海で、新しい英語が一つ誕生しました。
(このエピソード、実は『「カンガルー」が「分からない」』というのは誤りで、
いろいろ種類のあるカンガルーを総称する「gungurru」(跳ぶもの)という現地語が、
もともとあったのだそうです。でも、「カンガルー」という名前をヨーロッパに
伝えたのは、クックの一行であることは変わりありません)

以上《ハワイイよもやま話》―その9でした。

ALOHA!



<今後の活動>
練習日5月11日(金)12:30〜15:30
ランバス・ホールで
5月22日(火)12:30〜15:30
ランバス・ホールで
6月1日(金)12:30〜15:30
ランバス・ホールで
6月15日(金)12:30〜15:30
ランバス・ホールで


吹き出しの中にセリフを入れてください。優秀作には豪華な・・・(以下略)

▼バックナンバーを読む

■2013年03月23日更新分

■2012年11月06日更新分

■2012年10月07日更新分

■2012年08月05日更新分

■2012年07月12日更新分

■2012年05月29日更新分

■2012年05月01日更新分

■2012年03月22日更新分

■2012年02月27日更新分

■2012年01月28日更新分

■2011年12月07日更新分

■2011年11月23日更新分

■2011年10月26日更新分

■2011年10月05日更新分

■2011年09月20日更新分

■2011年08月28日更新分

■2011年08月20日更新分

■2011年08月01日更新分

■2011年07月16日更新分

■2011年07月03日更新分

■2011年06月11日更新分

■2011年05月13日更新分

■2011年04月16日更新分

■2011年02月26日更新分

■2010年12月20日更新分

■2010年09月15日更新分

■2010年09月02日更新分

■2010年06月23日更新分

■2010年04月17日更新分

■2010年02月21日更新分

■2010年01月09日更新分

■2009年11月29日更新分

■2009年10月24日更新分

■2009年09月19日更新分

■2009年08月08日更新分

■2009年07月07日更新分

■2009年06月27日更新分

■2009年06月03日更新分

 


 
KG HOT NEWS.
circle
copains
KG LINK.