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社会で活躍する同窓生をCLOSE UP 輝くKG同窓生のインタビューとメッセージを掲載します。

KG PEOPLE
  016 南井英弘さん  関西学院大学同窓会東京支部副支部長


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 関学時代に培った英会話のコツが、
仕事と登山への情熱を結びつけた



昨年9月27日、見事中国チベット自治区にあるシシャパンマ中央峰の登頂に成功した南井英弘さん。この8008m峰の制覇で、氏は69歳にして大学山岳部時代以来抱き続けていた夢を一つ叶えることとなった。
高校一年生の富士山登山から始まり、大学では山岳部で北アルプスを渡り歩いた。そして通常卒業後は疎遠になりがちな登山が、丸善石油(現コスモ石油)入社後にはかえって仕事と登山とを分ちがたく結びつき、氏の足は次々と世界の高峰へと向かっていく。
バイタリティーに満ち溢れた南井さんの登山と仕事の数奇な関係、そして現在の心境と活動についてお話を伺った。  


きっかけは関学高等部での北アルプス登山

母方の祖父、父親に続き、山好きの家系だったと言う南井さん。幼い頃には六甲山で山に慣れ親しみ、高等部一年で富士山へ。そして高等部二年の時に先生の引率で北アルプスに登ったのが、南井さんを登山への道へ進ませる原体験となった。

「普通は受験勉強しなきゃいけない時期だったけど、そのまま大学に上がれるので、高等部の先生の引率で北アルプスを縦走したんです。最近発見された水場があるというので、そこを経由して行こうと。それで先生二人、友人二人で登りました。すると泊まろうとしていた新しい水場の小屋がまだできてなくてね。うさぎ狩りしてたおっさんが急遽木を切って、木の葉を屋根にして小屋がけをつくってくれた。霧が筒抜けの避難小屋、今でも強烈に覚えているね。そして数日がかりで針の木岳から槍ヶ岳経由で上高地まで縦走しました。その時から山に憑かれていますね」  

★ ★ ★

登山と仕事の危険な関係?

大学山岳部で活動したのち、卒業後は丸善石油(現コスモ石油)に入社されていますが、登山回数はむしろ増えているようですね。

「入社したその年黒部ダムに隧道が空いて、そこへ潤滑油を売り込む社員を物色しに東京から担当課長が大阪の本社に来たんです。新入社員名簿から一人だけ山岳部っていうのを見つけて来たらしく、どこのおっさんや知らんと「お前南井か、黒部行ったことあるか」「ええいいとこですよ」って朝会話をしたら、その日のうちに黒部行きが決まってて(笑)。黒部の現場から週末ごとに近辺の北アルプスの山を登っていました。
その後、1961年に関学で関西学院創立70周年、関西学院山岳会創立40周年を記念して「ペルー・アンデス遠征隊」を出すことになって、まだ日本の遠征隊が入ったことのないペルーの最高峰と未踏の山に登りに行ったんです。3ヶ月休暇をもらって、帰って来たら8ヶ月経っていたので、てっきり首やと思ったが繋がりました。
そのうち会社がアブダビに石油の鉱区を買ったので、飛行機の窓からヒマラヤが見えるだろうと立候補しました。何千人いる社員の中で手を挙げたのは一人だけ。単身赴任が規則でしたが、会社を説得して、小さい子どもを二人連れて行きました。登山でペルーに行った時、海外では家族連れでなければ相手に信用してもらえないことを、現地の人との交流で肌で感じていたんです」  

ご家族も大変だったのでは?  

「でもワイフがいたからアブダビの閣僚夫人や官僚夫人を通じてアラブ社会にがっちり入って行けたんですよ。1年ごとに1ヶ月の休暇があり、その度毎にターッとヨーロッパの大きい山々を登ってね。  第2次石油ショックが起こったときは原油確保のためクエートに赴任し、3年近くいましたが、命がけですから会社には好きなようにさせてもらいました。登山用のテントを持って行って、砂漠で家族と野宿してベドウィンと仲良くなって遊んでいましたね。家族はヨーロッパアルプス、エベレスト街道トレッキング全てに同行し、テントキーパーもしてくれました」

★ ★ ★

還暦からヒマラヤへの再挑戦

還暦を迎えてから8年連続で10回ヒマラヤに登っていますが・・・  
「引退後の人生設計の中でヒマラヤ登山が大きいウエイトを占めていました。74年と81年に登った時は下見、予行演習みたいなもので。
97年5000m峰から再開して、段々と高度を上げて02年にムスターグ・アタに仲間2人で行ったんですよ。67歳目前で酸素ボンベなしで、7546mに登頂した時は、達成感がありましたね」
 
そして今回シシャパンマへ挑戦したわけですね。

「今までペルーは別として、すべて単独かリーダーで行ってたんですよ。でも今回は気軽に行きたくて。仲間がリーダーをする商業公募登山に参加しました。今まで地べたに座ってメシ食っていたのが、今回はたった8人で行ったのに巨大なテントを張って、大きな机を置いて、きちんと椅子に座って毎日フルコース。昔のイギリス隊がエベレストなどヒマラヤの巨峰に挑戦している本を読むと、必ず朝に“Good morning, Sir”と言ってシェルパがお茶を持って来るんです。イギリス式に、ティーをね。
今回もシェルパ全員がイギリス式の薫陶を受けているからすべて英国式。早朝、シェルパがテントまで大きなテルモスを持って来て洗面器にじゃじゃ〜っとものすごく熱いお湯を注いでくれる。歯磨き用にも洗顔に使えるし、すぐ冷えるけどそれで体や頭も拭けるし洗濯もできる。この会社は朝夕、血中酸素濃度を測るパルスオキシメーターでの健康チェックもきっちりしていました。だから非常に安心。ベストコンディションで登頂に望めました」
 
ところでこのような登山では、相当な体力がいると思うのですが。

「毎朝夕、屈伸運動をやり、時間があるかぎり毎日10数キロの荷物を背負って歩いています。そして平素から『口すぼめ呼吸』で歩きます。家を一歩出ると自動的にそうなります。呼吸筋を鍛え、肺細胞を活性化して歩いていますね。電車の中では座らずに連結器の上に乗って、膝を少し折り曲げてつま先立ち。新幹線など空いてる時にやってると「お前アホちゃうか」って顔をされたり、車掌さんに「座席はありますよ!」と言われるけど(笑)。階段は必ず一段飛ばしで目的階まで上がります。トレーニングするところは何処にでもありますね」    

★ ★ ★

富士山・エベレストの清掃支援活動

セブンサミッツ持続社会機構(SSASS サース)では七大陸最高峰登頂最年少記録を作った野口健さんのサポートもやっているそうですね?  

「彼のお父さんもチュニジアの大使だったのでよく知っていたんですよ。彼を指導していた大蔵喜福氏はシシャパンマ隊の隊長で、私の山仲間でもあったので、一緒に10数年前から応援してやろうと。富士山の樹海の清掃は、サースでは年に10数回やっています。樹海には誰も来ないのをいいことに、トラックでゴミを持って来てドボーって捨ててある。それを全部拾うんです。前回は全国から100人以上集まって、午前中清掃をして午後はみんなで樹海をハイキングして帰りました。晴れている時は、みんなで輪になってご飯食べたりしてね。みんな喜んで帰って行きます。
野口健さんはエベレスト清掃も4回やりましたよ。野口健が言い出して、世界的にみんなで清掃をしなきゃいけないっていう動きになったんです。エベレストには遭難者の遺体や酸素ボンベがそのままになっていたりするんですが、彼は正義感も強いし熱い男だから、8000mまで登ってカチカチに固まった遺体を氷雪の下から掘り起こしてきちんと埋めたり、その人が誰か分かるように遺品を持ち帰って記録したりしてるんです。すごい男ですよ。普通は誰も触るどころじゃないですから。彼が率先して一番働いてるんです。それで2003年にNPOとして新しい形で発足しました」  

本当に山とは切っても切れない縁が続いてるんですね。それでは最後にひとことお願いします。 

「関学で山岳部に入ってたんですが、そのときに”tea”で始まるイギリス式の登山の本を読んだわけね。その時に俺はやっぱり山に行くんだったら英語を勉強しとかなあかんなーと。大学3〜4年の時にMiss Oharaによる特別英語会話教室があって、英会話をコツコツやり始めたんです。真面目にはやってないけど、40年ほど先に自由の身になって老後の楽しみでヨーロッパアルプスやヒマラヤを登る時に英語ができなければ、”Good morning ,Sir ! Sahib tea, Sir”の楽しみは無いなーと。
海外遠征登山の目的で始めたシェルパとのコミュニケーション用英会話のおかげでアラブに行っても仕事ができたのは確かですね」  
【PROFILE】
南井英弘さん

(みなみい ひでひろ)
1935年生まれ。兵庫県西宮市出身。関西学院大学経済学部卒業後、丸善石油株式会社(現コスモ石油株式会社)入社。以後仕事の合間をぬってペルー・アンデスのピコ・デ・ヴィクトール(5885m)初登頂、アルプスのモンブラン(4806m)、モンテローザ(4634m)、マッターホルン(4478m)など登頂、エベレスト街道トレッキング、イランでのスキー、キプロスのオリンポス山(1952m)雪上ハイキング、カラコルムのトレッキング、など各地の山々を駆け巡る。
97年から毎年5000〜7000mの高峰に挑戦し、00年ヒンズークシュのディルゴルゾム(6778m)、02年崑崙山脈のムスターグ・アタ(7546m)に登頂。昨2004年、9月1日〜10月7日にかけての登山で9月27日、シシャパンマ中央峰8008mに登頂。
現在、関西学院大学山岳会理事、日本山岳会会員、日本ヒマラヤ協会会員、NPO法人セブンサミッツ持続社会機構(SSASS)の副理事長、日本アラブ協会相談役。「みんなで明るくあいさつをしよう会」にも参加している。
2005年「第2回KG東京アウォード」にて、「シシャパンマ峰過去40年間の登頂最年長記録」達成の快挙を受け、大賞を受賞した。    
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