企業のトップ陣を数多く輩出している関学商学部。富士ゼロックスで手腕を発揮した宮原さんも、そんな関学商学部出身の一人である。今回は、グリークラブでの活動、現代の若い世代への熱い思いなどをたっぷりと伺った。
【関学ブラザーズ】
子どもの頃から3歳年上のお兄様の後ろ姿を追いかけていた。大学を受験するに際しても自然と同じ学校を選んだ、二人で同じキャンパスに通っていた心温まる思い出とは。
宮原さん:二人兄弟ということもあり、いつも先を走る兄の影響は大きかったように思います。関学の商学部に入学し、勉学とオーケストラ(交響楽団)の活動で大学生活を謳歌していた兄の様子を見て、私の中にも自然と関学への憧れが涌いてきましたね。高校生だった時分、何回か兄のコンサートを聞きに行きました。その時に初めて男声合唱というものを知り、強い印象を受けたのを覚えています。当時、4大学演奏会というものがあって早稲田大学のグリークラブが校歌を熱唱、1番はユニゾン、2番になった途端にハーモニーに分かれる。背中がゾクゾクして鳥肌が立つほどの鮮烈でした。後に私がグリークラブに入部することになったのも、この時の経験があったからかもしれません。
■兄と机を並べて
宮原さん:兄が4年生になった時に、私が関学商学部に入学しました。三つという年の差は中学も高校も学年的に重ならないため、大学になってからやっと同じ校内で学生生活を送ることができました。通常、4年生ともなると選択科目がメインとなり教養科目は終了しているのですが、兄曰く「おまえを待っていてやった」と、同じ教養科目の授業を三つ四つ受ました。どうやら私をノート係に命じることが目的だったようですが(笑)。兄弟二人で机を並べ、二人で講義を聴き時に居眠りし……本当に貴重な思い出の1ページですね。なかなかこういった体験をしている人は、少ないのではないでしょうか。
【基盤作りをした大学時代】
厳しい会計学の授業、グリークラブ、そして神戸山岳会。三足の草鞋を履きこなしたハードな日々から得た経験は大きい、それら全てが後の考え方や仕事に通じていった。
宮原さん:入学して間もない頃、兄のグリークラブの友人に突然入部テストの会場へ連れて行かれました。商学部の校舎へ行くには、グリークラブの部室の前を通らなければならなかったですからね。試験には約100人もの入部希望者が集まりました。当時の関学のグリークラブといえば、何度もコンクールで優勝を重ねて全国的に有名でしたから、人気があったんですね。でも、入部できるのは半数の50名ほど。何の備えもなかった私は受かるはずもないと思っていました。ところが、何故か合格。実は大学ではスポーツをやりたかったので、最初はグリークラブに入るつもりはなかったんですけれどね(笑)。
グリークラブで厳しい下積みをしながらも、趣味で神戸の山岳会に入りロッククライミングをしていました。1年が終わる頃、やはり本格的に山登りに取り組みたくて、グリークラブを辞めるつもりでいました。春は中国、四国、九州地方へ、夏には東北から北海道にかけて演奏旅行にまわるグリークラブの活動と、山登りはとても掛け持ちできないと思ったからです。春の演奏旅行を前に退部届けを持って行ったところ、懐の大きな当時の部長から、なぜか掛け持ちが許された。兄との繋がりがあったようで、異例の特別待遇でした(笑)。2年生以降は、2月の試験が終わると2ヶ月間山に入り、夏休みにはグリークラブの演奏会に1ヶ月間参加してから北海道の山に入りました。まさに年の1/4は山登り、3/4グリークラブの活動をしていたのです。
古い歴史を持つグリークラブではプロになった先輩から指導を受けることもあり、夜遅くまでクラブの在り方について討論したものです。今となっては書生っぽいかもしれませんが、社会に出る前に社会性を学ぶことができたと思っています。歌う曲はキリスト教の宗教曲ですから、歌を通してキリスト教精神を学び、青年期のメンタル面の形成にも何らかの形で役に立っていたと振り返ることができますね。また、私が社長に就任してから、環境に優しいシステム作りに取り組んだのは、山岳会で自然と触れあった経験が生きたように思います。
■会計学の権威に師事、会社ではずっと経理一筋だった
宮原さん: 経営学のゼミを通して勉強した会計学との出会いが、今日の私を作ったといっても過言ではないですね。会計学の第一人者である増谷裕久教授から学んだことは、とても印象深く思い起こされます。当時の商学部は教授が個性豊かで、会計学の先生は厳しいことで有名でした。チャイムと同時に扉が閉まり、遅刻厳禁、私語をすると追い出されるほど。授業についていくのは至難の業でしたけれども、会計学に対する関心が高かったのでかなり努力はしましたね。前期試験では、試算表を作成する問題が出され、私は見事に一発でクリアして後期試験は免除に。この時、"自分は将来、こういった数字の世界で働いていくだろう"と直感のようなものを感じました。
入社して配属希望を聞かれた時にも、真っ先に経理部に名乗りを挙げました。当時、一番人気の部署は営業で、経理は誰もが何とかして逃れたいと思っていた部署でしたので、すんなり聞き入れられました(笑)。数字とは、最初に3年ほど馴染むべきで、それから営業を経験しても遅くないと私は考えています……その逆は難しいですからね。後で営業も経験しようと思いつつ、結局20年以上ずっと経理に携わる結果になりました。現在のような立場になってからも、様々な決断をするバックグラウンドは、今でも数字的な考えに基づいていると感じています。
【若い世代へ望むこと】
大学時代の経験を、長いスパンで現在に生かしてきた宮原さんの生き方、そこから若い世代が学べる要素とは? 後輩たちへ熱いメッセージとこれからの大学の在り方を語って下さった。
宮原さん: 我が社では、現在、人間の脳の機能について研究しています。それによってわかることは、人間、幼年期に"生きることは素晴らしい"ということを学習し、その後、青年期に差し掛かって"自分は何を目的に生きていくべきか"を考えるようになる、ということです。学問も大切ですが、それよりも世界観を学んで欲しいと思います。
例えば、"グローバル化"という言葉が以前にも増して聞かれますが、それは単に英語をはじめとする外国語を学ぶだけではない。外にばかり向かっているグローバル化のベクトルを内側に深く掘り下げる、つまり歴史をしっかり勉強して欲しいと思うのです。世界の歴史ももちろんですが、まずは自国の歴史を学ぶことが大切ではないでしょうか。日本には、それだけ価値の高い文化や倫理観があります。わかりやすいところでは、武士道があげられますね。規範を持ち、美意識の高い武士の生き様は、世界に理解され得るものです。21世紀のグローバル化とは、日本ならではの確固たる基盤を築くことだと私は思います。
■21世紀の大学とは
宮原さん: 今、大学は厳しい時代を迎えています。大袈裟のように聞こえるかもしれませんが、これからの大学は学部制を縮小するべきではないでしょうか。リベラル・アーツを学ぶことは重要ですが、大学だけで教えることではありません。科目別学部ではなく、総合的に学ぶために垣根を取り外す方向が望ましいと思います。教養とは、小学校・中学校・高校・大学、そして社会に出てから、老後に……と各世代その時々で学ぶべきものですから。これからの大学の役割は、高度な専門性を学べる"大学院大学"が中心になるべきと思います。例えば、企業の研究機関を積極的に大学内部へ組み込み、実践の場で活躍している人を講師や教授に採用してはどうでしょう。全てが"そこそこ"という総合大学では、これからの時代を勝ち抜いていけません。今後の関学がどのように変わっていくか、期待しています。
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