今回の『KG PEOPLE』は、初の女性の卒業生にご登場いただきました。世界のトップブランドを扱うLVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・ジャパン株式会社のPRアドヴァイザーとして、また、LVMHウォッチ・ジュエリー(株)取締役、フレッド・ジェネラルマネージャーとして活躍する谷口久美さんです。その洗練されたファッションセンスやライフスタイルまでもが、カリスマ的存在として女性誌で度々紹介されています。華やかなファッション業界の仕事や女性が自立して仕事をするということについて伺いました。
【フランス語との出会い】
これからの時代、英語は話せて当たり前。プラスアルファーの語学を身につけてほしい……そんなご両親の願いで中学生からフランス語の勉強をはじめた。
谷口さん:私が子供の頃から両親や母方の祖父など、周りの大人たちはみんな英語が 堪能でした。ライフスタイルは洋式、床の間や畳の部屋が家にはありませんでした(笑)。そんな環境で育ったこともあり、外国語を学ぶことは何の抵抗もありませんでした。「これからの時代、英語を話せることは当たり前だからフランス語を身につけなさい」という母のアドバイスで、中学・高校はフランス語教育がある神戸海星女子学院に入りました。英語とフランス語に関しては、学校での授業だけではもの足りなくて家庭教師をつけてもらい、さらにセイドー外国語学校にも通いました。クラブ活動は、中高ともにE.S.S。発音が良かったらしく英語の弁論大会にも出ましたね、語学の成績は常にトップでした。でも数学は大嫌いで、今でも試験の夢を見るんです(笑)
【憧れの関学へ】
厳格な女子校で中学・高校時代を過ごした谷口さんが、男女共学の関学へ入学。生活環境の変化で、学生時代は何もかもが新鮮で楽しかったとか。そして在学中に留学したパリでの経験が、その後の谷口さんに大きな影響を与えた。
谷口さん:神戸海星女子学院にそのまま進まず、関学を選んだ理由の一つは海星の校則があまりにも厳しかったから(笑)。というのも理由のひとつでしたが、中学時代の英語の家庭教師が、関学の英文科の学生だったんです。五島(旧姓日比)万亀子さんという方で、やはり海星女子から関学に入学。高校三年の時に、AFSでアメリカ留学を経験された素敵な女性でした。そんなご縁もあり、彼女に憧れて私も関学を受験したのです。学科は仏文でしたが、クラブ活動はE.S.Sで、このE.S.Sで培われた英語も、今の仕事で大いに役立っています。大学での生活はというと、女子校から来たもので共学がとっても新鮮でした。ただ家が非常に厳しかったので男の子とのデートは一回もなく、素敵な思い出は残念ながら一つもありません(笑)。
■パリ・ソルボンヌ大学への留学
谷口さん:関学の三年を終了した後、ソルボンヌ大学に一年半留学しました。中学から習ったフランス語ですので、私にとってパリはずっと憧れの場所でしたが、当時アメリカ留学を志す若者でさえも少ないなかったなかフランスは更に遠い国でした。この一年半のパリ滞在で私の人生が決まったとも言えます。芦屋にいた頃は、一人で神戸や大阪に出かけることさえ両親に許されなかったのに、そんな娘がパリでたった一人で自立を果たしたのです。パリではカトリックの女子寮で生活しましたが、様々な国籍を持つ女の子達と仲良くしてもらうには、自分から積極的に近づく努力が必要でした。後に、“社交的”と言われるようになったのは、このパリでの学生生活で鍛えられたからだと思います。人とのコミュニケーションがとれて初めて仕事も成立していくものと思います。
【アタッシェ・ド・プレスのパイオニア】
25年前、クリスチャン・ディオールの仕事を始めたときの谷口さんのタイトルは、アタッシェ・ド・プレス(プレス担当)。ブランドの広報の仕事だ。それまでファッションブランドに顔になるアタッシェ・ド・プレスという役職が日本に存在していなかったため、人一倍の努力を余儀なくされた。
谷口さん: パリでの留学中、翌年(1970年)に開催される大阪万博のフランス館のスタッフを募集していました。試験に受かり、帰国後は関学の四年に進みながらフランス館建設の通訳から仕事に入りました。建築の通訳は難しい専門用語が多く苦労しましたが、現場でヘルメットをかぶっての通訳は思い出深いものです(笑)。その頃は学生業と通訳に加えて、夜はセイド文化センター(外国語学校)でフランス語の教師もしていました。夜のクラスでしたから、生徒は学生ばかりでなくお医者様やサラリーマンのおじ様方もいて、学生の私は優越感(?!)にひたって教えていました。今から考えると22歳の小娘がずいぶん生意気だったと思いますが、パリで自立した女性に影響も受け、仕事をすることがなによりの楽しみになっていました。
■パリ・ディオール社に入社
谷口さん: 大阪万博が終了した後、再びパリで一年半暮らしました。伊藤忠ファッションシステ ム(株)が設立されたばかりの年で、駐在員としてファッションの仕事をさせて頂
き、帰国後は伊勢丹研究所に所属し輸入品売り場(特選フロア)のコーディネイター の仕事も経験しました。
たまたまフランス人の友人の紹介で駐日フランス大使夫妻と懇意になり、広尾の大使
館のディナーに度々ご招待を受けるうちに、パリから来日したクリスチャン・ディ
オールの副社長とデザイナーにお会いする機会がありました。これが、ディオールの
仕事を始める切っ掛けになったのです。1974年のことでした。
当時は、鐘紡がディオールのライセンシーで、私は日本においてディオール社の窓口
としてアタッシェ・ド・プレスの仕事をすると同時に、両社の掛け橋的な役割も担っ
ていました。ただ今のように、女性が仕事場で受け入れられなかった時代でしたか
ら、悔しい思いもたくさん経験しました。それに、若かったこともあるのでしょう、
若いということは日本ではリスペクトされませんものね。
実は来年、パリのアタッシェ・ド・プレス養成学校の姉妹校が東京に設立されます
が、そこで日本でのアタッシェ・ド・プレス第一号ということで、講演の依頼をされ
ています。私が重ねてきた努力を、こういった形でアタッシェ・ド・プレスを目指す
若い皆様のお役に立てていただけるのはとても嬉しいです。
【VIPとの交友録】
クリスチャン・ディオールというブランドの力もあって、谷口さんは世界のVIPの方々にお会いし、多くの方々から様々な事を学ぶ事がありました。そんなエピソードを交えながら後輩へのメッセージをいただきました。
谷口さん: 大阪万博フランス館の政府代表のオフィスで通訳をしていたため、国内外を問わず政府代表を訪ねてこられたVIPの方々と知り合う機会がありました。また、ディオール時代には、ミッテラン大統領の兄上ご夫妻にかわいがって頂き、息子さんを日本滞在中に我が家で主人と一緒に面倒を見てあげたこともありました。1985年のパリ祭にミッテラン大統領からお礼に招かれたことは、一生の思い出になっています。
現在では、建築家の主人がニューヨークの近代美術館の設計を手掛けているため、ニューヨークへ行くことが増えました。創設者のロックフェラー家とも親しくさせていただいております。そのつながりで、ヒラリー・クリントン女史やパウエル国務長官、国連のアナンご夫妻などとお食事をすることもあり、貴重な体験になっています。いつも思うのですが、語学ができることがどんなに大事か。私はフランス語のほうが得意なので、英語のレベルはまだまだですが……。また、自分の国についての知識に加え、政治・経済・歴史・芸術など、幅広い話題をいかにこなせるかということも、国際社会で仕事をしていく上では重要です。私など、勉強不足で反省ばかりです
(笑)
【フレッドの経営者として】
1990年よりディオールの親会社で世界の一流ブランドを30以上傘下にもつLVMH(モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン)グループのPRディレクターに就任。更に本年度からLVMHウォッチ・ジュエリー(株)の取締役フレッド事業部のジェネラルマネージャーに就任。重責に付きながらもいつも女性らしくあり続ける谷口さん、その今後の活動についてお伺いしました。
谷口さん: LVMH本社のオーナーであるベルナール・アルノー社長の妹が、フレッ ド・パリ本社の社長をしていることから、今年の2月よりフレッドの経営を任されました。フレッドはパリのヴァンドーム広場にあるリッツホテルに隣接する高級宝飾店 です。大ヒットした映画『プリティーウーマン』の中で、リチャード・ギアがジュリア・ロバーツにプレゼントしたルビーとダイヤのネックレス&イヤリングといえば、 おわかりになる方も多いのではないでしょうか。昨年は私が仕掛けたテレビドラマ『嫉妬の香り』(辻仁成原作)で、本上まなみさんや川原亜矢子さんが毎回つけていたジュエリーでもあります。
銀座の並木通りに本店があり、関西では10月末に阪急百貨店梅田店にオープンしました。阪急百貨店には関学OBが大勢活躍されており、とても心強いです。ぜひ、8階のフレッドの売り場をたずねて頂きたく思います。今年は新しいブランドの立ち上げで、営業からPR広報、広告、人事まで全てを必至で頑張っています。今後はフレッドのイベントを数多く企画し、顧客の方々とのコミュニケーションを大切にしていきたいと思います。ご興味のおありの方は、ご一報いただければ幸いです。
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