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社会で活躍する同窓生をCLOSE UP 輝くKG同窓生のインタビューとメッセージを掲載します。
KG PEOPLE 006 加茂 周氏  サッカー解説者
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日本で初めてプロのサッカーコーチ誕生――
そのきっかけとなったのは
高校、関学時代にサッカーへと導いてくれた
先輩との出会いだった。



大学サッカー関西リーグの歴史の中心を担った関学。当然、加茂周氏もその中に身を置いた。俗に"名選手は名コーチになれない"と言われるが、日本代表の"名監督"だった加茂氏は、どんなサッカー人生を歩んできたのだろうか。またジュニア世代に向けて、日本のスポーツ教育のあり方についても伺った。

【運命の出会い】
芦屋高校に入学したある日、当時3年生だったキャプテン李昌碩(リ・チャン・ソク)氏から勧誘をうけた。これが加茂氏のサッカー人生の幕開けであった。

加茂氏: 四人兄弟の三男として生まれ、高校は二人の兄が芦屋高校へ進みましたので自然と自分も同じ高校を受けました。日本代表チームのゴールキーパを務めた長男豊がずっとサッカーをしていたので、身近な存在にありましたが自分から進んでは、サッカーをやろうとは思っていませんでしたね。長男とは6歳離れていましたから自分が入学した時には既に関学の大学生でした。実は、私の兄弟は4人とも芦屋高校から関学へ進んだんです、しかも次男以外は皆サッカー部でした(笑)。どのクラブに入ろうか迷っていた時に、勧誘してくれたのが当時3年生だったキャプテン李さんでした。

李さんからはとても大きな影響を受けました。当時、日本にまだサッカー理論という言葉もなかった頃、李さんはイギリスなどから洋書を入手して自分で訳しては、私に教えてくれました。手作りのサッカー教本のようなノートを作って、本当にわかりやすく教授してくれたものです。「この人はすごいな」と心底思いました、辛い練習に耐え高校時代にサッカーに没頭できたのは彼のおかげですね。

【一軍半の関学サッカー時代】
当時関西の大学では向かうところ敵なしだった関学サッカー部。だが、加茂さんが入部したのは2年生からだった。そのきっかけは?

加茂氏: 高校を卒業してから2年間、浪人とは名ばかりにぶらぶらしていた時期がありました(笑)。でも、いざ大学進学の時にはどこに進むかはあまり悩まなかったですね、兄たち二人が通っていましたから。入学してから1年間は、わりにマジメに授業に出ていましたが、その頃も自分からサッカー部の門を叩くことはありませんでしたね。そんな時、ここでも私をサッカーに導いてくれたのは李さんでした。私は2年だぶって入学したので、李さんは関学を卒業して関学の大学院生でした。

2年生から入部したもののベンチに入ったり入らなかったり……、一軍半という感じでしたね(笑)この当時は交替制のルールがなかったので、ベンチに入っても試合に出られないことも多かったですよ。李さんにきっかけをいただいて高校、大学とサッカーを続けた私は、サッカー就職で大阪のヤンマーディーゼルに入社しました。

【コレと決めたら度胸を張る、加茂コーチ誕生】
大学時代の選手生活は一軍半だった加茂さん、ヤンマーに入社後3年でサッカー人生の転機を迎える。指導者としての手腕を振るう加茂コーチの誕生だ。

加茂氏: ヤンマーディーゼルで3年間は選手というポジションにいました。今と違ってこの頃は、就業時間まできっちり仕事をしてから練習、その後また会社に戻り終電まで残業をするという感じでした。練習そのものも週に1〜2度程度でしたよ。それがメキシコオリンピック(1968年)のあたりから日本リーグが人気沸騰になりはじめ、徐々に練習時間も増え仕事は午前中まで、午後からはほとんどサッカー漬けでした。4年目、私がコーチになってからヤンマーにあの釜本邦茂君が加わりチームは一気に変わりました。

監督は現・セレッソ大阪社長の鬼武さん、コーチは私。世界の釜本を迎えて指導にも気合が入り、コーチングスクールにも通いました。コーチとしての勉強はルールや理論だけに留まりません。世界に近づくには英語も必要だと感じ、神戸のYMCAに通いました。また、本もよく読みましたね。徳川家康や西郷隆盛、豊臣秀吉など、リーダーシップをとるうえでの物事の考え方の基盤などを考えさせられました。こうした積み重ねがプロのコーチとしての意識を生み、ヤンマーを辞めて日産に移るときにはプロとしての契約を結びました。日本で第一号のプロコーチとなったわけです。

【これからのサッカー世代へ】
プロのサッカー選手を夢見ている子どもたちに向けて、大学でサッカーに熱中している学生に向けての熱いメッセージ。

加茂氏: 日本のスポーツ教育は、子供の段階で「あなたは野球」「君はサッカー」などと、親が一本の道に決めつけてしまいがちですね。でも、早い段階で親がひとつのジャンルを押しつけてしまうべきではない。いろいろやった中で、15〜16歳頃になって自分に一番向いているスポーツの道に進むべきだと思います。いろんなスポーツを知ることで見識も広がり、人との出会いも増えるものです。また、大学でサッカーをやっている人は、プロの道に進むにはちょっと遅い、大学を卒業してからプロになるチャンスというのはかなり難しいというのが現状です。だから、社会人として生きていくための見識を在学中に広めて欲しい。

今でも年に一度は関学サッカー部のOB会の集まりがあります。東京支部の集まりだけでも最低でも50〜60人は毎回集まりますね。OBでサッカーの仕事に携わっているのは元日本サッカー協会会長の長沼さんをはじめ2〜3人いますが、集まると話題はサッカー以外のことで盛り上がりますよ。OBの皆さんがそうだと思いますが、母校の応援は純粋に今でも楽しい。現在、川越にある尚美学園大学サッカー部のアドバイザーという立場にありますが、関西リーグなどで関学の試合は、必ず一試合は見に行きますね。やはり母校の試合は気になるものですね(笑)

【PROFILE】
加茂 周(かも しゅう)
1964年文学部英文科卒業。その後ヤンマーディーゼルに入社。1967年サッカー部コーチ就任。1974年日産自動車サッカー部監督就任(プロフェッショナルコーチ)。1990年全日空サッカークラブ技術顧問就任、翌年監督就任。1994年日本代表監督就任。現在、サッカー解説を中心に幅広いメディアで活躍。著書に『モダンサッカーへの挑戦』がある。
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