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社会で活躍する同窓生をCLOSE UP 輝くKG同窓生のインタビューとメッセージを掲載します。
KG PEOPLE 004 程 一彦氏  「台湾料理リユータン」オーナー
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ナンバーワンではなく、
オンリーワン精神を育んだ関学時代



第4回目は、『料理の鉄人』(フジテレビ/関西テレビ)で、初めて鉄人の陳健一を制し、メディアでも幅広くご活躍されている程一彦さん。"他の人がやっていない自分だけの付加価値"を見つけていくことを身に付けた学生時代のお話から趣味の粋を超えたさまざまな活動、そして料理人としての生き方をお伺いしました。

【どうしても関学に入学したかった】
1945年創業とういう梅田で老舗の台湾料理店の2代目をつとめる程さんは、大の関学贔屓として有名。入学希望への熱意は意外にも幼い日の挫折から始まった。

程氏: 実は関学の中学部受験に失敗したのが大きな理由なんですね(笑)小学校の校長先生に勧められて、なにげなく受験した関学ではあったのですが、落ちたとたんに「どうしてもこの学校に入るぞ」という因縁めいた闘志がわいてきましたね。その後、必至で勉強して灘高校へ入学。大学受験の第一志望は関学、第二が同志社、第三が慶応で、第四が早稲田、第五が阪大だったのです。担任の先生からは「志望校の順序が逆だろう?! なんで国立に行かないのか」と言われました。なぜ私立を中心に受験したかというと、私の家は商売をしています。しかも一人息子なのでお店を継がなければならないことはわかっていました。当時、私立大学に入学するのは裕福な家庭の人がほとんどでしたから、将来的にいいお客様になってくれるのでは、という"商売人の考え"もありました。担任の先生は笑って納得してくれましたね(笑)

【やるからにはプロ並みに】
軽音学部で4年間、ジャズのソロボーカルを担当。一流の先生につき、プロを目指すほどのめりこんだ。

程氏: 大学時代といいますと、ゼミの先生や仲間と交流したことと軽音楽部での生活が非常に思い出深いですね。そもそも、軽音楽部に入部したのもゼミで一緒だった仲間が入るということで、ついて行ったのがきっかけなんです。当時、軽音楽部は120人も部員がいたほどの人気クラブ、他の人は中高で吹奏楽部に入っている人が多く、みんな楽器ができたんですね。そんな経験がない私は消去法でボーカル担当に(笑)。しかも学年で1人だったので、幸運にも1年生からソロボーカルとして舞台に立つことができました。当時の軽音楽部は、かなり体育会系のノリ。上下関係が厳しく、ジャズの名曲集「1001」を全部覚えろと先輩から言われたものです。さすがに1001曲は無理でしたが、200曲はマスターしましたね。

今まで歌の経験がなかった私は、まず大阪松竹音楽学校校長の永井先生からクラシックの発声トレーニングを受け、それと並行し、関西では名の通ったジャズの上野先生にも指導をいただきました。卒業する時、上野先生に「プロになるか」と言われ、一時は本気で考えました。でも、冷静に自分の才能や環境を考えた末、料理人の道を選びました。

ただ今でも歌っています。というのは、20年ほど前、他店にはない「リユータン」独自のことをやりたい、と考えピアノを置いてジャズのライブを始めたんです。もちろんボーカルは私。毎晩、演奏をするほか、月に2回は軽音OBとライブをあちこちで催しています。ちなみに、現在、関西のジャズ協会に所属しており、歌手は30名の中で2名という貴重な男性ボーカリストなんですよ。

【関学食文化研究会の発足】
1983年、程さんが音頭を取って関学食文化研究会を発足した。180人を越える同窓生から構成されており、その規模は同窓会正式団体でもトップ。同窓生との交流では、たくさんメリットがあるという。

程氏: 関学には電業会という電気関連の会社オーナーの組織があります。ここにゼミの親友が入っているのですね。それなら、"食"に関する組織があってもいいのではないか、と思って旗揚げに至ったわけです。会長には日本調理師学校の副校長の島田先生にお願いし、私が副会長を務めています。料理店のオーナーだけでなく、メーカーや、ホテル、新聞記者でも食に携わっていれば誰でも入れます。今では180人を越える大きな団体となりました。ここでは、お互いに情報交換を行い、それぞれの仕事に反映しとてもよい交流の場となっています。

【料理人の美味しい顔】
関西では有名な程さんだったが、意外にも全国区になったのは『料理の鉄人』(フジ テレビ/関西テレビ)で、初めて鉄人の陳健一を制してから。料理に対する思いとは。

程氏: 私はリユータンの2代目ですが、実は父は料理ができない経営者でした。そ んな父の姿を見ていたので、料理店を経営するには自分が包丁を握ろうと思ったのです。だから私には師匠はいません。関学を卒業して中華食材の貿易会社に勤務後、1年ほど台湾と香港へ修行に行きました。それ以外、人に料理を教わったことはありません。8歳から店の調理場に出入りしていれば自然と料理が見えてくるものです。そういう意味で、私の師匠は私の"店"ですね。料理の世界でも、自分だけのオリジナルをずっと探しています。実は、料理人には包丁で食材を刻む時にリズムがあるのです。ワルツ(3拍子)の人もいれば、4拍子の人もいる。これは体のリズムであり、クセでもある。だから、それをなくそうと思った。私が包丁を使うと休止符がない、カッコよく切ろうと心がけていますね、こうした技術の追求はもちろん味にも現れているはずですよ。

味のよさは、料理人の顔で決まるのです。横皺のあるハッピーな顔の料理人は楽しんで料理をしているから美味しい、それに対してこわい顔の縦皺のある人はいつも眉間に皺を寄せているから味もそれなりということです。これは科学的にも証明されている事実。私もはじめは一人息子ゆえの、「仕方がない」という気持ちがありましたが、この世界に入ってすぐにそんな気持ちは吹き飛びました。やはり好きにならないと、何事も成功できないものだと。

【程さん流生き方の三原則】
次々と自分の目標をクリアしてきた程さん。その成功には生き方の三原則があった。 若いOB・OG世代に是非伝えたい三原則、そして、気になる今後の程さんの夢は?

程氏: 第一に、私は常に具体的な夢と目標を持って生きてきました。関学に入学したことも、その一つです。こんなこともありました。16〜17歳の時に店の2階に住んでいた頃、目の前にコンバーチブルの赤いジャガーがとまっていたんです、「いつかは自分も」と思いましたね。その夢が叶ったのが15年前、50歳のときです。どんなことでもいいので具体的な夢・目標を持つことは大切だと思います。

第二に、その夢に向かって努力を惜しまない。絶対に諦めないで一歩一歩進んでいく。どれだけ努力を積み重ねられるかがポイントですね。

第三は、他の人にない付加価値をつける=オンリーワンになること。このオンリーワン精神は、今から振り返ると私が、関学というカラーが私に教えてくれた貴重な財産ですよ。 将来の夢は、中国料理の事典を作ることです。辞典の製作には最低でも15年はかかるといわれていますので、80歳を迎えた頃にその夢はきっと叶っているよう努力します(笑)

【PROFILE】
程 一彦(てい かずひこ)
1960年人文学部社会学科卒業。「台湾料理リユータン」の2代目として調理場に立つ。台湾料理龍澤と程一彦中国料理教室を経営。多くの高校・大学で講義をするほか、テレビ、ラジオ、雑誌など幅広くメディアで活躍。「程一彦とボランティアの会」を組織し、現在も阪神大震災へのチャリティーボランティアを続ける。著書は『程さんの中国家庭料理』(女子栄養大学出版)、『程一彦の台湾料理』(実業之日本社)、『読めば10年長生きできる本』(角川書店)など、他多数。宝塚在住・宝塚市大使。
http://www.teisan.com
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