vol.33
「患者」と「消費者」
大井 玄
前回、日本の医療に消費者主義を持ち込んだならば医療崩壊(すでに進行しつつあります)が起こるだろうと書きました。
そうならざるを得ない根本の原因は、ごく単純な論理ミスにあります。つまり患者はいわゆる消費者ではないからです。その最大の違いは、消費者は買うお金がなければ消費者ではなくなるのに、患者(病人)はお金がなくとも患者であるからです。それは次の例からもはっきりします。
ネパールはいうまでもなく世界の最貧国のひとつで、医療保険制度を整備する力はありません。しかも高地で紫外線が強いことも災いして白内障の患者が多いのです。だがそこにはサンドウック・ルイトという眼科医がおり白内障の手術に優れ、いままで10万人の視力を回復させてきており、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞をも受賞しました。手術の実費は2千円ぐらいです。彼は手術費を4段階に分け、金持ちの人からは1万円貰いますが、3分の1患者には無料で手術をしています。
どうでしょうか、患者が消費者と同一ならば、彼らは消費者であるがために 費用を払うつまり手術を買うことができず、手術を受けることができません。しかしルイト先生は医師としての「志」を持っているので、患者である限りは 儲けを無視して医療を行うのです。消費者を対象にしていません。
つまり医療資源というものは、世界のどこの国でも十分ではないので、皆が大切に使う「公共財」であり、市場経済で扱う通常財ではないという了解がほとんどの先進国ではあります。「ほとんど」と書いたのは、アメリカという世界の医療費の40%を使う国では、医療サービスを通常財として扱っているからです。したがって「消費者」つまりお金で医療を買える者のみが「患者」としての資格を持ちます。
当然医療保険(商品としての)を買えない人がでており、その数は4500万人にのぼります。ある調査では、2001〜2年期、高齢者を除く人口の3分の1、7500万人が、一時期無保険でした。無保険のものがどんなひどい扱いを受けているかは、日本できちんと伝えられていません。しかも医療が日本では考えられないほど高い。日本で虫垂手術は30万円ですが、ニューヨーク州では230万(1日入院)という調査もあります。結局無保険者は病気に成っても医療を受けないよう我慢することが多い。世界一富裕なアメリカの乳児死亡率がとなりの貧乏国キューバよりも高いという事態になります。
高い医療費が払えないならば差し押さえを食う。個人破産の半数は医療費を払えないためで、カード破産は1%にすぎません。つまり、アメリカの患者は、市場で医療サービスを買うわけですから、売り手の医療者が消費者(患者)の満足のいかないことをするなら、直ちに訴訟に訴えるのが消費者として当然であるという論理になります。
つまりアメリカは、先進国で唯一「患者は社会が保障して医療に与かれる」という「公平(正義)」の原則を貫いておりません。医療に与かるのは患者の「権利」ではなく、お金で買う「特権」なのです。「公平な医療へのアクセス、医療の質、効率」という三つの評価軸による世界保健機構の評価では、日本は常にトップかそれに近いところにあるのに、アメリカはたとえば15位(2002年)と桁が違う理由がここにあります。
医療を患者の「権利」として公平に利用する状態から、医療を消費者の買う「特権」に変えますと、もうひとつ医療費が増えることになると予測されます。アメリカではGDPの15%を医療費に日本はその半分です。効率よい医療を実施するために、日本の医師はアメリカの医師に比べ、やすい報酬で過重労働に従事しています。それは国民のすべてに公平な良い医療を提供しようとする「志」によるものと私は思います。その志が萎えたとき、この国の医療が崩壊するのはごく自然な成り行きでしょう。
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