vol.27
脳血管障害
大井 玄
イスラエルの首相アリエル・シャロン氏が脳出血で倒れました。レバノン侵攻、パレスチナ難民の虐殺と残酷な所業をしてきた反面、昨年はガザ地域のユダヤ人植民地からの撤収を断行するなどしたたかで現実的感覚の政治家です。パレスチナとの和平のカギを握っていた人物ですから、あらためて脳血管障害に関心を持った人も多いでしょう。
彼は昨年末、「軽い」脳梗塞で入院していますから、血液の凝固を防ぐ薬を使っていたことは確かです。しかしそれは両刃の剣。脳に新しく出血が起こると、大出血になる可能性がたかくなります。
近年は死に至る病いといえば、まずがんを想います。しかし半世紀前の日本では、脳血管障害(脳梗塞や脳出血、俗称脳卒中)が死因の一位を占めていました。私が幼時を過ごした秋田は、長野県などと並んで全国一の脳卒中王国でした。秋田は当時世界一の食塩摂取量で名高く、一日平均25グラムぐらい(全国平均は13グラム)でしたが、そのため高血圧をわずらう人がやたらに多かったのです。近所にも「中気に当たったオド(小父さん)」があちこちおりました。
さて地域の健康推進運動として脳卒中予防に取り組みを始めたのは、残念ながら、長野県佐久市が先でした。
脳血管障害の原因は、塩分過剰摂取、寒冷な居住環境、動物性蛋白の不足にあるとして、精力的な予防活動をされた方がおられました。昭和三十年代から五十年代にかけて、佐久市立浅間総合病院の院長をされていた吉沢国雄先生です。
先生は、市内の各部落、各地区をこまめに、くまなく廻り、高齢者検診と保健講話を続けました。「居室一室はいつも暖かく」、「良質の動物性蛋白(卵など)を食べろ」、といった勧めには応じても、「野沢菜を食べるな」というかけ声には反発もあったはずです。
野沢菜はよく知られるように、地元の美味な名産で、農閑期のお茶うけでこれに優るものはないでしょう。
だがその効果は絶大でした。昭和三八年から五三年までの十五年間に、長野県の脳卒中死亡率が人口十万あたり二一〇名から二八〇名くらいで推移していたのに、佐久市だけは三四〇から一五〇と半分以下にさがりました。
佐久市は現在、男性の平均余命は七八歳で全国一ですから、世界一でもあります。これは生活習慣の改善により脳血管障害を見事に予防できた事例として、日本の保健衛生史にとどめられねばなりません。
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