vol.18
「痴呆」は「正常」、「正常」は「痴呆」
大井 玄
前回、痴呆症を認知症に代えても永続的効果を期待できない、痴呆が「おぞましく異質だ」という認識自体を改めることが根本的な解決だと、書きました。大層な啖呵をきったように聞こえますが、それなりに根拠はあります。
まだ憶えておられますか。昨年秋にこの欄で紹介した東京杉並区の「ボケ老人」調査の結果を。それは開業医の先生方に「ボケ老人」「正常老人」を紹介していただき、知力低下測定をふくむ面接調査をしたものです。
私たちがびっくりしたのは、「ボケ老人」といわれた方々の二割ちかくに知力の低下はほとんどなかったこと、そして「正常老人」の一割近くに中程度から重度の知力低下が見つかったことでした。
痴呆の中心症状である記憶を中核とする「認知能力低下」ははっきりしている。それなのに家庭でも、医院の外来でもおだやかに「正常の老人」と思われて生活しているのです。そういう方々は、きっと葛藤のすくない人間関係やゆったりとした生活のペースの中でしあわせに生きておられるのだ、と推察しました。
この推察は、もしすべての痴呆老人たちがおだやかに生活している地域社会が見つかるならば、ほぼ確実に実証されたと考えてよいでしょう。
そんな地域はありました。杉並調査の数年前沖縄県島尻郡佐敷村で、琉球大学の精神科医真喜屋浩先生が、六五歳以上の老人七〇八名全員について精神科的調査をしたところ、あきらかな痴呆老人は二七名(全体の四%)で、東京都の有病率と変りません。ところが全症例をつうじて、うつ状態や妄想・幻覚・夜間せん妄という「周辺症状」を示した人はいないのでした(但し統合失調症と思われる一例がありました)。
当時の東京では痴呆老人の二割が夜間せん妄をおこし、半数に周辺症状がありました。またアメリカでは痴呆の四分の一から半分にうつ状態があると報告されています。沖縄のこの村全体が、痴呆状態にある人にとってシャングリラのような地域であることがお判りでしょう。真喜屋先生は以下のように考察しています。
「佐敷村のような敬老思想が強く保存され、実際に老人があたたかく看護され
尊敬されている土地では、老人に精神的葛藤がなく、たとえ器質的な変化が
脳におこっても、この人たちはうつ状態や、幻覚妄想状態が惹起されること
なく、単純な痴呆だけにとどまると考えられるのである」
ことごとく同意します。「単純痴呆dementia simplex」という学名はありますが、私はこの周辺症状を伴わない状態を「純粋痴呆」と呼びました。
私もいつか(そう遠いことではないでしょう)一人の純粋痴呆として、静かに老いの坂を下って行きたいものだと願うのです。
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