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健康生き生き
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vol.5
説明のつかない現象を前にして
大井 玄
私たちは、時として「常識」では説明のつかない出来事を目のあたりにします。
たとえば、ながい間腰がいたくて動けなかった人に手を触れるか触れないかだけで、その人は自由に立ち上がって動くようになる。
このような光景を見ると、聖書の昔は「奇蹟だ!」と叫んだかも知れません。現代医学の常識をもっている人(たとえば医師)ですと、二通りの反応が見られます。
第一に、これが圧倒的に多いのですが、見たことをそのままには信用しない態度です。それはわが眼の錯覚か、「やらせ」か「芝居」だろうと思う。その人の腰のレントゲンを見せろ、などと要求したりする。あるいは自分の患者でもう一度実証してくれなどという。あるいは、効果があるか判らん、不思議だと、頭を振って忘れてしまう。
第二の反応は、ごく少数派に見られます。つまり、自分の観察が正しいならその出来事が示す治療効果を認めても良いという態度です。そうすると次には現代医学が認める治療効果の仕組についての考え方を再検討する必要が生じます。それは、「現代科学」が受け入れている「思考のパラダイム」以外の考え方で説明できるかどうかを考えるものです。言いかえると、事実から出発して、常識的思考では判らないものの、その事実を解釈できる説明を考えようという態度です。
現代人は「科学」という言葉に弱いようです。「君の考え方は非科学的だ」などと言われると、大抵の人は「ハーッ」と平伏せずとも黙ってしまうでしょう。特に物理学などははなから難解な高尚な科学だと畏怖してしまう。しかし物理学も現象を見て、それまでの考え方を直してきています。たとえば光が同時に「粒子」としての性質と「波」としての性質をもちますが、あらゆる物質は場の「震動」だという考え方で以上の性質を説明できます。
鍼灸では、「刺激」とも呼べないほどの微かな「シグナル(信号)」を送るだけで劇的な治療効果を示すことがあります。たとえば、皮膚の一点に鍼をそっと置くだけで、痛みが消えてしまうというような……。それを説明するために私たちの身体には、神経では感知できない極微少なシグナルを感知し、生理作用を起すようなシステム(信号系)があるのだ、という説明を考えた人がいました。もう亡くなられましたが京都大学医学部を出て外科医になり、家業を継いで漢方医になった間中善雄という漢方では知らない者のないほど有名な方です。彼の書いた教科書はいくつもの外国語に翻訳され、スペインなど外国からも彼の墓参りに来るそうです。次回からすこしそこらを紹介しましょう。
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