vol.22
文明国家の怠慢
聴診器・血圧計もない救急車のお粗末さ
K市の小学校のかつての恩師から、九十歳を超えても視力を除いて、からだに支障はないという便りをいただいた。そこで私の親しい眼科教授を紹介し白内障の手術を受けられる事をすすめた。
それから間もなく先生の急逝の報に接した。朝の散歩中に路上で転倒、頭がい骨骨折後の脳内出血で死亡されたとのことである。
私の病院に毎年のように入院してドックを受けられた老人があったが、その退院日に私は、「八十歳にもなられてこんなにすばらしい健康をもつ方は少ない。あなたが毎日どんな食事をとり、どんな暮らし方をされているかを知りたいので、書いて送ってください」と頼んだ。ところが受診三週間後の新聞の死亡欄にその老人の名が報ぜられた。私は驚いて家の方に電話したところ、二階の階段から落ちて急死とのこと。
老人は、からだのバランスをとることが下手になり、片足では二秒と立っておれないことが多い。だから凸凹のある道路や、階段からの足の踏みはずしで、すぐ転倒したり、落ちたりする。老人が更に長寿を保つには、日常生活の中でバランスを崩して倒れないよう、よほど注意して行動しないと、いつ事故が起きるかわからない。これは戸外でなくても屋内でもよく遭遇する。
そのような場合、意識さえあれば、大声をたてて人を呼ぶか、電話のあるところまではってゆき119番にダイヤルすれば救急車はすぐ来る。
九月九日は九九の日、すなわち「救急の日」である。この日を特に覚えて万が一に備える配慮をすることはよいが、かけつけた救急車の方がわが国では問題である。
東京都では119番を呼び、住所と名前を知らせると3―5分以内に救急車がサイレンを鳴らしてかけつける。そしてコンピューターの指示で、その近くの救急施設で病室が空いて入院できる病院に運んでくれる。
かけつけた救急士は、もし脈がふれにくければ、心臓を聴診して心臓が動いて音を出しているか、血圧はどの程度に下がっているか、調べる必要がある。脈はふれても、上腕の動脈上の血管音を聴診して、その血管音がよく聞こえなければ、危険なショック状態だとわかる。これを救急士が判断して何らかの救命処置をし、血圧を上昇させ、気管内に酸素を吹き込ませ、つまり現場で救命して病人を早く入院させなければならない。
この血圧の評価には、聴診器を使って血圧を測らなければならない。血圧が計れないほど血圧が下がったままで患者を運ぶと、患者が病院に着いた時は植物状態となり、一時止まった心臓はまた打ち直しても、脳死が起こる。
これを防ぐには、出先や車中で聴診器で血圧を測らなければならない。それなのに日本国内の救急車は1992年までは、酸素吸入のボンベはあっても血圧計が置かれてなかった。東京の一部の救急車には電子血圧計が置かれてあったが、これは自動車が走ると、振動のため血圧測定は不能となるといったものである。
今では、私が指導する各地では家庭人が聴診器を使って自分で自分の血圧を測っている。一般の素人がやっているのに、救急車の中には救命用具としての聴診器と普通の手動の血圧計を1992年までは備えていなかった事は、物笑いにされることである。血圧を測るには医療関係者でなくても測定法さえ習えばだれにでもできることである。
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