vol.17
第三の人生
定年10年前から生き方を組み立て直そう
6月の第三日曜日は「父の日」とされている。父の日は、母の日よりも遅くて、昭和25年
ごろから父に感謝する日として子供たちに覚えられえるようになった。もともとこれが米国で 提唱され始めたのは1910年、日本の明治の終わりにさかのぼる。お母さんは子育てのため
子供に感謝されるが、日本の男性は子供の世話をすることが少なく、人間関係が疎遠になりが ちである。
ところが、自然界には男性が子を産む生物があるという面白い話を最近聞いた。立ち泳ぎ をする魚のタツノオトシゴがそれである。
この魚のメスは、カンガルーのおなかのような袋をもつオスの腹の中に数十個の卵を産みつ ける。オスは卵でぎっしりつまったおなかを抱えて一ヶ月もすると陣痛がおこって、おなかの
中で孵化(ふか)した長さ数ミリの子がヒョイ、ヒョイと一匹ずつ飛び出す。出産はいとも楽に見えるの でタツノオトシゴの干物は安産のお守りとされるという。
日本では、男は仕事に夢中して、女の産みの苦しみのわかる人はたまにしかいない。父のイ メージの多くは、仕事、仕事で働きすぎた、毎夜帰りの遅い父の姿だと子供にいわれる家庭が
多い。
日本では、学校を出て就職するや、男子の多くは、企業やお役所、自営の過重の仕事のため、 生活が大きく支配され、親子の交わりの時間は少なく、家庭生活はいびつにされている。精神
的充電にあてられる時間が、中年の男子にはきわめて少ない。ゴルフやマージャンも仕事のた めのつきあいの産物である限り、リラックスできない。
このようにして、日本の中年の男子の多くは、出世や収入、名誉のための仕事やつきあいに 忙殺され、学校を出てからの第二の人生は、人間としての自分の生きる目的とか、意義をいっ
たものが顧みられず、時ばかり速く過ぎて、定年がすぐくる。
定年、それは航海する大船を離れて、自分という一人乗りか、夫婦という二人乗りのボート に乗り移るときである。大海原の波の間にほうり出されて、自力でオールをこぐことが強いら
れる。
どこに向かって船をこぐのか。舟に乗せられているのはわずかの資産か年金など。生きる上 での羅針盤も持たず、生きがいとなる心の糧に欠けた自己にはじめて気づく。
60歳の女子の平均余命は約25年、男子は少し短くて約20年。つまり、60歳での定年 で、社会的責任や制約から解放されてから死ぬまでの予測年数が平均20年は男子にある。70
歳まで生き延びた男子には、まだそれから先13年の余命がある。
この定年後の20年なり30年の長い生涯は、第三の人生として、「父」や「母」が生きつづ けることが許されているわけである。この第三の人生は、自分の意思と計画と趣味とで自分が
選択する生き方を地でいける最後の人生である。
人間が生まれてから死ぬまでの間に、自分に問いつづけて生きることが許されるこの第三の人 生こそが、その人の仕上げの人生だとすると、それをなぜ人間は定年10年前から問いつづけて
デザインしないのかといいたい。
哲学者谷川徹三氏はこういっていいる。「生は問い、死は答え」だと。第三の人生をどう生き るかのデザインが、どう死ぬかの答えでもあろう。
編集委員会注:01年の65歳の女性の平均余命は22、68年、男性 17、78年。
(資料厚生労働省「簡易生命表」P68より)
聖路加国際病院理事長(関西学院旧制中学部卒)
日野原重明著「いのちの器」より
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