vol.11
難聴
音の世界から隔離される人間の孤独
「人生の最初の四分の一は人生の効用を知らないうちに過ぎてしまう。最後の四分の一はまた人生の楽しみが感じられなくなってから過ぎていく」
これは思想家ルソー(1712−78)の「エミール」(今野一雄訳、岩波文庫)の中の一文である。
彼は、人は老いると、目がかすみ、耳が聞こえなくなり、足腰が弱くなり、人生の最後の四文の一は楽しみが感じられなくなると言ったのだと思う。
昔とちがって今は、難聴のある人は補聴器をつければよいというが、これを常時つけているとガーガーという雑音がして不快になるといって、つい離してしまう人が多い。難聴がいよいよ進行すると補聴器はあまり用をなさない。
老人になると、小鳥のさえずりや笛の音のような高い調子の音がまず聞こえなくなり、
次第に中、低音がおかされ、ついには日常会話が聞きとれなくなる。
家族と一緒にテレビを見ていても、老人だけはテレビの音がよく聞こえない。たとえ音はなんとか聞こえても、早口でしゃべるアナウンサーの言葉の一つ一つがよく認識されない。
私は老人の患者さんを大勢診てきたが、私が内科医になって30年たったころ、
80歳に近い老人が私の病院で1週間人間ドックにはいられた。その老人の息子さんは親孝行で、高価な補聴器を購入するなどして難聴をしつこく訴えるお父さんにいろいろと気を遣っていたが、ご当人はそれで満足しなかったと私は聞いた。
ドックで詳しく調べたが、内臓には異常がなかったので、私はこう言った。
「あなたは耳だけが悪いが、目が見えなくなったよりましでしょう」と。
そうすると、お年寄りは非常に寂しい顔つきで私にこう言われた。
「先生は耳が聞こえるから、聞こえないもののつらさはおわかりにならない。先生、音の世界から隔離される人間は孤独ですよ」と。
私は、はっとした。
私はそれまで音の聞えない人を、内臓に病気をもつ患者とは別
個に考えていた。 難聴は重い病気だとさとった。その日から老人を扱う内科医として難聴の勉強を始めた。そして、聴力の落ちた患者の気持をわかろうと努力した。先の患者は、私が軽んじていたことの中に大切な医学があることを教えてくれたのだ。
盲、聾(ろう)、唖(あ)と、3つの機能を失いながら素晴らしい教育者となったヘレン・ケラー女史
(1880−1968)は、「自分が失った3つの感覚の中で何か1つが与えられるとなったら
わたしは聴力をとりたい」と言ったという話を私はどこかで聞かされた。人の声は愛情をじかに伝える。テレビを音なしで見るより、画像のないラジオを聞くほうがはるかに素晴らしい。
難聴の人にはベートーベンの話をお伝えしたい。彼は30歳のころから難聴となり、以後の4半世紀はこれに悩みながら作曲を続けた。自分が作曲した第九交響曲を彼が指揮し終わった時に、聴衆の拍手喝采(かっさい)が彼には聞こえず、
曲が終わってしばらくは振り向いて聴衆にこたえることをしなかったという。しかし、彼は頭の中に音を描いて、意思強く作曲を続けたのだった。
3月3日はおひな祭りの日だが、「耳の日」だと知っている人は少ないと思う。
耳の遠い人、ほとんど聞こえない老人に耳近く心の声をかけ、語らない老人の声を聞く耳をもちたい。
聖路加国際病院理事長(関西学院旧制中学部卒)
日野原重明著「いのちの器」より
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