vol.9
中高年のストレス
医師に「自分」を打ち明け、行く道の指針を
戦後10年間くらい、ちょうど私が30歳代でアメリカ合衆国に留学していたころ、かなりの数の若い日本人医師が臨床研修や研究のためにアメリカに留学していた。彼らは日本とはまったく違った環境の中にほうり出され、日本では自他ともにエリートとして通
っていた若い医師が、入国半年くらいのうちに全く自信をなくし、アメリカ人と話をすることを避け、自閉的になり、揚句は自殺するとか突然帰国するという人が時々みられた。それから約40年たつ間に、日本の文化がアメリカ的方向の変わり、日本にいても、英語を使うアメリカ人らと交わる時代になり、
先に述べたような事件はごくまれになった。
最近、私のところに来診した何人かの患者さんたちの中に、自ら来診したというより奥さんに連れられたり、娘さんに付き添われて来診する中高年の男性が増えてきた。
中高年の男性は、まさに仕事盛りの、会社では中心的存在となるべき人なのに、
急速にコンピューター化する企業のシステムの中で、自分は文科系出身だから機械にはどうしようもなく弱いという固定観念から脱しきれず、自信を失っていく。新しいシステムにうまく適応していく若い女子社員からは無能な上司とみられ、部長からは駄
目な課長とみられ、傍系会社に押し出される気配を感じたと思い込み、会社ではもちろん、家でも自閉的になってしまう。パソコンを学ぼうとする意欲など毛頭出ない。
これはハイテク化する職場への不適応による病気、言い換えればストレス病である。
また、定年の5年ほど前のころから、集中力の低下から思わぬ
失敗を重ねる人がある。変わってくる将来の環境への不安が原因である。
一方、家庭ではパートの仕事をしていた奥さんが上司から認められて生き生きと働き出す。娘は結婚し、息子は就職で地方に赴任して夫婦2人の生活になる。
奥さんのほうは活用された才能を自分でも意識して、仕事への興味がますますわく。
だから家庭は、鳥にたとえればヒナの巣立った空の巣(エン プテイ・ネスト)となり、主人の生活はわびしくなる一方。これも子供不在と、先の不確定要素に満ちた将来への不安というストレスが不眠、十二指腸潰瘍、物忘れを生じさせる。
内科医として私がみている中高年の患者には、職場や家庭でのストレスからくるストレス病を
病む人が多い。変わってくる環境にうまく対応できないことによる不適応症として、ストレス病が生じたわけである。人間が生きていく上では、ある程度の緊張としてのストレスはむしろ必要である。健康な人はそのストレスを受けて生活に張りを見いだす。
これを“よいストレス(ユーストレス)”という。しかし外的環境が急速に変化し、コンピューター化により情報の集積や分析がシステム化するために、より少数の人材で在来の企業の仕事ができるとなると、その環境についていけない人は、その中で自分の居場所を失い、価値観まで喪失する。自分の受けたストレスにどう対応するか、波にうまく乗るか、波にのまれてしまうか。
後者となる心配のある人は、よい医師やカウンセラーにゆっくり自分を打ち明けて相談するのがいちばんよいと思う。芸術や宗教はいろいろな意味での支え手ともなろう。
聖路加国際病院理事長(関西学院旧制中学部卒)
日野原重明著「いのちの器」より
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