vol.2
「文化」の本質
からだという朽ちる土の器に健やかな精神
十一月三日は文化の日である。戦後の昭和二十二年までは、この日は明治節と呼ばれ国民に親しまれた。日本の歴史の中でも最も大胆な変革が国政の中に見られた時代の天皇の遺徳をしのんで、明治天皇誕生日を記念して制定されたのである。当時は、明冶節は日本での国の行事としての四大節の一つとされていた。
私の小学校からの思い出では、この日は毎年晴天が約束されていた。体育館のない大正の時代、野外での運動会は楽しく、民間人にも最も楽しい菊花も薫る季節の休日であった。
これは昭和二十三年に廃止され、代わりに「文化の日」となった。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」というのがこの祝日の趣旨だと説明された。皇居では文化勲章の伝達式があり、またこの日を中心に各地で芸術祭が催される。
さて「文化」ということと人間の健康とはどう関係するかを考えてみたい。
漢語としての「文化」は、「文治教化」(形、口訓や威力を用いないで導き教える)という意味で用いられた−と辞典には書かれてある。しかし今日私たちが使う「文化」はラテン語のcultura(耕作、育成)という言葉から、英語ではカルチャーという言葉になったものが日本語で「文化」と訳されたという。「文化」とは別
に、「文明」という言葉も長く使われてきた。
文化住宅というかなり古い言葉は、欧米風の便利さを示す意味で用いられてきた。私が子供時代だった大正時代には、文化なべなどといわれた台所用品のあったことも思い出す。文化のにおいとか、文化人という言葉は、大正時代からよく使われてきたように思う。
文明(シビリゼーション)と文化(カルチャー)とを現代人はどう区別
しているのかということも考えてみたい。
文明社会というと、人間が生活するための便利なテクノロジーが普及した社会と考えてよいと思う。これに対して文化とは、学問、芸術、宗教、道徳など、主として人間の精神的活動を中心とする人間生存の価値に関する意味が、その中心にあるものと私は考えている。別
の言葉でいえば、人間の知性や感性や教養の高さともいえよう。
文明というと、それは確かに人間の知性の産物であるが、これは国家にせよ、社会にせよ、個人生活にせよ、知性の産物としてのハードシステムの生活上の利用にその意義がある。
医学が今日、このように進歩したのは、医学自体だけでなく、むしろ医学以外の自然科学の高度な技術(文明)の人間への応用による援助が大きい。これによって、いろいろの疾病が治癒され、予防もされ、いのちが健やかに保たれるのに大きく貢献している。
では、人間が健やかだということは、一体どんな意味をもつのであろうか。動物も文明の恩恵に浴する。しかし動物の行動はもっぱら遺伝と本能に支えられている。それに対して、人間は、遺伝と本能の上に言語、経験、模倣、学習(ふり、まなび、ならい)を通
して、生涯の中で思考、感情、習慣、行動が形成され、集団の一員としての生き方を打ち立てる生きものである。これが「文化」の本質だと考えると、からだの健やかさに、心の健やかさを目指すのが人間という生きものではないかと思う。からだという朽ちる土の器の中にどういう心を満たし、それをどう後世の人に伝達するか、そうした方向から目指すべき「健やかさ」を再検討したい。
聖路加国際病院理事長(関西学院旧制中学部卒)
日野原重明著「いのちの器」より
|