vol.1
健全な心を宿す
たとえからだは病んでも心こそ朽ちない宝
子供のときから、よく聞かされた格言がある。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」。 小学校の上級か、中学校への入学当初に、
黒板によく書かれたこの句は、戦前の学校教育を受けたものの頭には、
いつまでも残っている。この言葉が果たして日本の古来のものかどうかは
最近まで私には定かではなかった。
これは教養のある人間を形成するのに、
修辞学同様に体育を重視したギリシャ思想の産物かとも思ってみたが
、実はこれは、曲げられてこう文章化されたことが調べてみてわかった。
もともとこの言葉のルーツは、ローマの詩人ユヴェナリス(AD50頃―130頃)の
『風刺詩』の第10歌にあるが原文の文脈は違う。
「諸君が......神々から何かを求めたいというなら、
こう願うがよい。健全な身体に健全な心を宿らせてくれと。 死の恐怖にも平然たる剛毅な精神を与えよと。
人生の最期を自然の贈物として受け取る心を......進んで択ぶ心を願え」
(『世界名詩集大成1』国原吉之助訳、平凡社)
以上の言葉のあとにこの詩人はこうつけ加えている。「今私が諸君にすすめたものは、諸君が自分で自分に与え得るものだ」と。
では、今日私たちはどうすれば健全なからだを獲得できるか。
これは一つは近代医学の恩恵を受けてのことである。 もう一つは人間各自の生き方、何を食べ、何を避け、どう生きるかの
選択行動によってからだの健康をかちとることである。 このようにしてかちとった健全なからだに、どうすれば健全な心を宿らせられるかを
考えて行動することが大切である。
さらにこの詩人のいうように、人間が人生の最期を自然の贈物として
受けとる心を生涯を通して学ぶことができれば、それが人間の幸福ではなかろうか。
そしてもし私たちが最期を迎えるまで余分な成人病にならずにすめば最高である。
では、どうすれば生活習慣病が避けられ、老化を押しやることができるか、
そのノーハウは若い時から生涯を通して人間が学ぶべき最重要なことだと思う。
土の器の中身は何か......。人間のからだはしょせん、
やがては土に返る「土の器」である。その土の器に何をいれるか、
そのことは生涯を通して問い続けなければならない。 その土の器に健全な心を宿すことができれば、
その心こそは朽ちない宝となるにちがいない。からだは老化し、
最期に病むことがあっても、もし健やかな心をからだに宿らせ続けることができれ
ば、 老人は自分の周囲からの庇護に感謝し、謙虚に過去の即席を顧みつつ、
今日も生かされたことに対して、感謝の祈りをささげることであろう。
たとえ不幸にして、その生涯の中で長い闘病生活を余儀なくされても、
もし病むそのからだに、健やかな心を宿すことができれば、 それは朽ちない宝を天につんでいる人となれよう。
さて、急に養生訓をとり入れても、長く使った土の器は
そう簡単には若返りさせることはできない。だが、中に入れる心には新しいデザイン
の 効果が期待されてよいと思う。一日一日を与えられた新たな日々として受け入れ、
からだと心の健やかさを願ってデザインをしてみたいと思う。
聖路加国際病院理事長(関西学院旧制中学部卒)
日野原重明著「いのちの器」より
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