第3回 S46会Zoom講演会
司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」を読む機会があり、その主人公、高田屋嘉兵衛の生涯を追いかけると、江戸時代に大坂、神戸から日本海、北海道(蝦夷)を股にかけて活躍した「北前船」の存在が広がってきた。
大坂の小倉屋の「塩こんぶ」、京都の松葉の「にしんそば」など、関西の食文化に大きく影響を及ぼした「北前船」の動きを見ると、色々な分野で江戸、明治時代の文化を作り上げたことが分かり、今回その内容について、少しでも多くの人に理解をしてもらえればと思い、5月29日(土)21名の参加のS46会Zoom講演会で、発表をする機会を得た。
プロテニスプレイヤーの大坂なおみさんも、元をたどれば「北前船」と大いに関係がある。祖父の大坂鉄夫さんは北方四島の歯舞群島出身。江戸時代はアイヌ民族しか住んでおらず「北前船」により北海道に移住したと思われる。その子孫が大坂なおみさんである。
「北前船」を研究すると、北海道で大量に獲れるニシンが〆粕(魚肥)となり、綿や藍の栽培の肥料となり、江戸時代の衣料文化の発展に貢献している。当時「河内木綿」はその優れた品質により日本中で取り扱われていた。
昆布は今も富山県が消費No.1であるが、「昆布ロード」と言われるように北海道から沖縄、中国まで流通し、中国の風土病の予防に貢献し、中国からは薬の原料であるジャコウを日本にもたらしている。
「棒ダラ」というお正月料理にも使われている原料は、乾燥したブワ鱈で昔から今日まで関西の料理メニューとして根付いている。昔の保存方法は全て乾燥して流通し、そのため食べ方も現在のように冷凍、冷蔵保存でないため限られていたと思われる。
「北前船」の衰退は、動力船の出現、汽車の利用、電信電話の発展などにより大きく社会が変わった中で、その存在価値がなくなり時代に取り残されて、自然に消滅してしまった。「北前船」に関連する内容に加えて、北海道に関する話、お魚に関する話など、幅広い分野について1時間ほど話をして講演を終えた。
講演内容に関する設問10問の答合わせや質疑応答の後は、いつもの通りの懇親会となりワクチン接種の情報交換などをし、次回の再会を誓って散会となりました。
(文責・資料 高島 実)