三日月会6月例会は、日本気象協会の田家康氏をお招きして、「歴史を動かす影の主役は気象だった」と題し、気象にまつわるエピソードを歴史上の出来事と関連づけて 時代を追い、9つのエピソードを紹介していただきました。初めて、サピアタワー以外の会場の銀座「ウェンライトホール」での開催となりましたが、50名もの皆さまにご参加いただきました。ありがとうございました。
(1) 人類はいつから衣服を着るようになったか(巨大火山噴火)
現生人類がアフリカを出てユーラシア大陸に進出したのは、7万5000年〜6万年前と推定されます。その頃インドネシアのトバ火山が超巨大噴火を起こしました。その影響で気温が低下し、衣類をまとうようになり寒い地域への移動も可能になったのです。
(2) 二つの縄文時代(地球規模の気象異変)
三内丸山遺跡は5500年前〜4000年前、縄文時代前期を中心に1500年間続きました。クリを中心とする木ノ実を主食にしていましたが、4000年前を過ぎる頃クリが激減したため集落を離れました。ちょうど同じ4200年前頃、地球規模の異常気象が世界を襲い、エジプトでナイル川の水量が激減したため古王国が滅び、突然の乾燥による環境悪化でメソポタミアではアッカド帝国が滅亡しました、三内丸山遺跡の集落放棄は、世界史の流れと一致しています。従来渡来人は一度目は縄文人、二度目は弥生人として二度渡来したと言われていましたが、DNA 解析により縄文後期に中間的な渡来があったことがわかりました。
(3) サラミス海戦の敗北を分けたもの(海陸風)
ペルシアのクセルクセスが大艦隊を率いてギリシアを攻撃した時、迎え撃つギリシャ側は、ペルシア軍が狭い海峡に入った時、沖合から海風が吹いて波が高くなる時を見計らって戦闘を開始しました。甲板の低いギリシア船は影響を受けませんが、甲板の高いペルシア船は操舵が困難になりました。記録にも残っています。
(4) ローマ帝国の領土を決めたもの(雷雨)
ユリウス・カエサルがガリア(フランス)を征服した後、初代ローマ皇帝アウグストゥスはゲルマニア(ドイツ)に侵攻。ローマ帝国の国境をライン川にするかエルベ川にするかが問題になりました。AD 9年、ローマが2万人の兵を集めてライン川に侵攻。ドイツ側との対戦時、偶然にも激しい雷雨とともに暴風雨が到来します。ドイツはこの悪天を利用して戦闘を開始し、雷雨を恐れるローマ軍は全滅しました。こうして、ゲルマンの地は森のまま残り、この地ではラテン語ではなくゲルマン語が使われ続けました。
(5) ワイン生産地の拡大(気候変動、温暖化)
プリニウスの「博物誌」によれば、「ブドウの栽培についてイタリア本土は最適地」、ウィーンのブドウは「苦味(ピッチ)の香りがして評判」、南仏の種は「寒冷の地に育ち、寒冷の中で熟成して黒くなる」、ピトゥリゲス種は「風や雨に対する抵抗力が強い」と言うことです。後者二種はピノ系、カヴェルネ系の祖先としてよく知られています。パックス・ロマーナの頃、乾燥した夏と湿潤な冬の気候であったため、アルプス以北でもワインが生産されましたが、14世紀以降寒冷化してブリテン島では壊滅、20世紀末から地球温暖化により復活し、世界中で栽培されている。
(6) 元寇の台風は神風であったか(台風)
弘安の役の時、フビライは南宋軍と東露軍を対馬、壱岐に遠征させますが、司令官の急病で南宋軍の出発が遅れました。平戸で両軍は合流しますが、時間をかけている間に台風シーズンに突入してしまいます。7月末から8月下旬は確率的に1個以上の台風が発生します。戦闘が遅れたために、「神風」に遭遇しました。
(7) 新田義貞稲村ガ崎突破(海面水位変動)
1333年5月21日未明、新田義貞は2万の兵を集め稲村ガ崎の海岸で戦闘の準備をしていました。龍神への祈りが通じたのか、合戦の間干潮となり、鎌倉幕府を打ち破りました。
5月21日は1年のうちで干満の差が最も多い季節です。この日の干潮は午前4時15分頃。また鎌倉に向けて北西風〜北東風が吹き、放った火が鎌倉幕府を焼き払いました。別の史料によると、13世紀半ばから海面水位が低下していて、幕府の海側の防御が弱くなったことも一因だと思われています。
(8) 長篠の戦いと梅雨(梅雨)
天正3年旧暦5月21日(7月9日)梅雨の最中なのに、信長はなぜ鉄砲を使ったのか。164キロ離れた興福寺の「多聞院日記」の中で、当時の天候を記録しています。その年はカラ梅雨で干ばつのため雨乞いをしていたようです。信長は「今年は雨があまり降らないな」程度の感覚で鉄砲の準備をしましたが、結果的に晴れたことで、鉄砲の威力が発揮されました。
(9) ストラディバリウスの音色はなぜ美しいか(気候変動、寒冷化)
世界で一番美しい音色を持つストラディバリウスですが、古い木を使ったから、あるいは秘伝のニスを使ったから、といった憶測が後を断ちません。これも気象学から解明されています。ストラディバリの生きた時代は、小氷期の中で最も寒さが続いた時代でした。寒いと年輪の間隔が狭く、強くて密度の高い木が育ちます。このような硬い材質の木は温暖化傾向の現代では手に入らないのです。
気象が歴史に及ぼす影響はこんなに大きかったのですね。今でこそ各国がスーパーコンピュータを駆使して予報の精度を競っておりますが、当時は過去からの推測で作戦を立てたのですから、予測できないところに歴史の醍醐味があるとも言えます。
そしていまも解決できていない大きな出来事はモーゼのエジプトでの海を割ったとの奇跡です。なんらかの気象現象かと世界中の学者がその謎解きに挑んでいますが、まだ定説はないようです。解決が待たれますね。
【以下案内文です】
三日月会6月度例会は、今年4月より午後開催のセミナーに変更させていただいておりますが、今回は場所を1906年に帰米するまで関西学院にて勤務されていたSamuel H. Wainright教授の名前を冠した「ウェンライトホール」(銀座中央通りに面した教文館書店ビル9階)で、日本気象協会の田家康氏をお招きして、気象・気候の変動と歴史の関係を下記要領にてご講演いただきます。
気象現象は集中豪雨・雷・ 海陸風といった数時間で終わるものから温帯低気圧(温暖前線、寒冷前線)といった数日に及ぶもの、干ばつ、冷害では数か月にわたるものがある。
さらに太陽活動の低下や巨大火山噴火による寒冷化、温室効果ガスの増加などによる温暖化は数十年から数百年に及ぶ。 太陽を回る地球軌道のごくわずかな変化がおよそ10万年に一度の氷河期の原因である。
これらの気象・ 気候の変動が、果たして歴史にどう影響を与えてきたのかと言う興味深いエピソードを紹介して頂けます。
是非とも多数の皆様のご出席を賜わりますようご案内申し上げます。
記
日 時 :2018年6月20日(水曜日)13:30~14:45【13:00開場】
場 所 :教文館書店ビル9階「ウェンライトホール」 東京都中央区銀座4-5-1
9階ホール入口前に「三日月会受付」(13:00~13:25)を設置
・教文館への地図・アクセス案内(次のURLをクリック)
https://www.kyobunkwan.co.jp/map
会 費 :1000円 (紙パックのお茶を用意しますが、軽食の提供はございません)
講 師 : 田家 康(たんげ やすし)氏 日本気象協会東京支部長
1959年 神奈川県生まれ。1981年 横浜国立大学経済学部卒。農林中央金庫森林担当部長、農林漁業信用基金漁業部長を経て、農林中金総合研究所客員研究員。
2001年 気象予報士試験合格 日本気象予報士学会会員。2007年 日本予報士会東京支部長
著書:『気候文明史』 『世界史を変えた異常気象』 『気候を読み解く日本の歴史』 『異常気象が変えた人類の歴史』 (いずれも日本経済新聞出版社)。
講演題目:「歴史を動かす 影の主役は気象だった」
*申込締切り 2018年6月15日(金)に締切りました。
同窓会東京支部のkg_tokyo_soumu@yahoo.co.jpへのメール返信では、申込み受付出来ませんので、くれぐれもお間違えの無い用ようにお願い申し上げます。
*お問合わせ先:東京支部 TEL 03-5224-6226
【次回予告】三日月会7月度例会はフェスタのため例年通りお休みとし、次回は、8月に開催する予定でございます。
以上