10月例会は国立新美術館で開催中の「ダリ展」でした。
20世紀美術を代表する芸術家として幅広い世代に人気のあるサルバトール・ダリ。1929年に彗星のようにパリの美術界にデビューを飾って以来、シュルレアリスムを代表する画家として、また、現代アーティストの先駆けとして、今日でも全世界の多くの人々を魅了して止まない芸術家です。油彩は勿論ドローイング、オブジェ、ジュエリー、書籍、映像など約250点の多彩な作品で構成する日本では過去最大規模のダリ展です。
本展は8章に分けてダリの生涯を俯瞰した展示会です。主催者のHPの抜粋を紹介いたします。

第1章 初期作品(1904-1922)

サルバドール・ダリは、スペイン、カタルーニャ地方のフランス国境に近い町フィゲラスで、芸術や文化に造詣が深く自由な気風の家庭に生まれました。少年時代から絵画の才能を賞賛され、フィゲラスや、夏の休暇を過ごした漁村カダケスの風景を、ポスト印象主義風の様式で描いています。

《ラファエロ風の首をした自画像》
1921年頃 カンヴァスに油彩
40.5 × 53.0 cm ガラ=サルバドール・ダリ財団

第2章 モダニズムの探求(1922-1929)

1922年にマドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入学しますが、そこでの教育に飽き足らず、反抗的な学生でした。学生寮で、ルイス・ブニュエル(後の映画監督)やフェデリコ・ガルシア・ロルカ(後の詩人)と交友を結びます。キュビスム、ピュリスム、未来派などの新しい芸術の影響を受けた作品を制作しました。

《ルイス・ブニュエルの肖像》
1924年 カンヴァスに油彩
70.0 × 60.0 cm 国立ソフィア王妃芸術センター
《少女の後ろ姿》
1926年 板に油彩
32.0 × 27.0 cm サルバドール・ダリ美術館
《カダケスの4人の漁師の妻たち、あるいは太陽》
1928年頃 カンヴァスに油彩
148.0 × 196.0 cm 国立ソフィア王妃芸術センター

第3章 シュルレアリスム時代(1929-1939)

1929年にブニュエルと共同で脚本を執筆した映画「アンダルシアの犬」がパリで公開され、大きな反響を呼びます。アンドレ・ブルトンを中心とするパリのシュルレアリスト・グループに参加し、パラノイア的=批判的方法を生み出して、シュルレアリスムの中心的な画家として活躍しますが、ブルトンとの不和も芽生えます。

《子ども、女への壮大な記念碑》
1929年 カンヴァスに油彩、コラージュ
140.0 × 81.0 cm 国立ソフィア王妃芸術センター
《奇妙なものたち》
1935年頃 板に油彩、コラージュ
40.5 × 50.0 cm ガラ=サルバドール・ダリ財団
《降りてくる夜の影》
1931年 カンヴァスに油彩
61.0 × 50.0 cm サルバドール・ダリ美術館
《謎めいた要素のある風景》
1934年 板に油彩
72.8 × 59.5 cm ガラ=サルバドール・ダリ財団
《引出しのあるミロのヴィーナス》
1936年(1964年再鋳造) 白く塗られたブロンズ、白テンの毛皮の房
100.0 × 29.8 × 27.9 cm サルバドール・ダリ美術館

第4章 ミューズとしてのガラ

ダリは、1929年夏に詩人のポール・エリュアールの妻ガラと初めて出会い、すぐ恋に落ちます。以後ガラは、常にダリに寄り添い、ミューズとしてダリの芸術に霊感を与えるとともに、一種のプロデューサーとしてダリを支援し、成功に導きます。

第5章 アメリカへの亡命(1939-1948)

第二次世界大戦が勃発すると、ダリとガラは戦火のヨーロッパを後に、アメリカ合衆国に亡命して、1948年まで過ごします。1934年以降、アメリカで何回か展覧会を行っていたダリは、すでに有名作家でしたが、商業的な仕事や出版を通じて、シュルレアリスムを体現する名士としての地位を確立します。

第6章 ダリ的世界の拡張

アメリカ滞在中に、ダリは舞台芸術や映画などの美術の仕事を多く行い、ヒッチコック、ディズニー、マルクス兄弟などにも協力しています。また、ファッションや宝飾の仕事にも手を染め、ダリの芸術から派生したイメージは、大衆的な人気を博しました。

《狂えるトリスタン》
1938年 板に油彩
45.7 × 54.9 cm サルバドール・ダリ美術館
《記憶の固執(ピン)》
1949年 金、ダイヤモンド
7.0 × 6.0 × 1.5 cm サルバドール・ダリ美術館

第7章 原子力時代の芸術(1945-1950s)

ダリは、1945年の広島と長崎への原爆投下に大きな衝撃を受けます。そして、新しい原子物理学の知見と宗教的な神秘主義を結びつけることで、核時代の到来によって決定的に変質してしまった新しい世界における、芸術のあり方を探ろうとしました。

《ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌》
1945年 カンヴァスに油彩
66.5 × 86.5 cm 国立ソフィア王妃芸術センター
《ポルト・リガトの聖母》
1950年 カンヴァスに油彩
275.3 × 209.8 cm 福岡市美術館
《ラファエロの聖母の最高速度》
1954年頃 カンヴァスに油彩
81.0 × 66.0 cm 国立ソフィア王妃芸術センター
《素早く動いている静物》
1956年頃 カンヴァスに油彩
125.0 × 160.0 cm サルバドール・ダリ美術館

第8章 ポルトリガトへの帰還―晩年の作品(1960s-1980s)

アメリカから戻ったダリとガラは、カダケスの近くの小さな漁村ポルトリガトに居を定めます。1960年代以降は古典芸術に回帰し、巨匠たちに触発された作品を描くとともに、ダリ芸術の様々な要素を集大成した《テトゥアンの大会戦》のような一連の大作絵画を次々と制作します。1974年にはフィゲラスに、心血を注いで作り上げたダリ劇場美術館も開館しました。

《テトゥアンの大会戦》
1962年 カンヴァスに油彩
304.0 × 396.0 cm 公益財団法人諸橋近代美術館
《「幻覚を与える闘牛士」のための習作》
1968-70年頃 カンヴァスに油彩
58.5 × 44.0 cm ガラ=サルバドール・ダリ財団
写真は展示会ポスターと国立新美術館をバックにした全体スナップです。