8/21 GVC(美術鑑賞会)例会で三菱一号館美術館へ。参加は12名。「画鬼暁斎 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」を鑑賞しました。 会期(6/27–9/6)は前期・後期(8/4–9/6)に分かれていますが、鑑賞したのは後期でした。 以下は主催者のHPからの引用です。
『三菱一号館(明治27<1894>年竣工)を設計した イギリス人建築家、ジョサイア・コンドル(1852~ 1920)は、 明治政府のお雇い外国人として明治10(1877)年に来日し ます。日本美術愛好家でもあった彼は、明治14(1881)年、 当時絶大な人気を博していた絵師、河鍋暁斎(1831 ~ 1899)に弟子入りします。親子ほども歳の離れた2人でし たが、その交流は深く、暁斎はコンドルに、「暁斎」と「英国」 から一字ずつを取って「暁英」と号を授け、コンドルは暁斎の 臨終も看取りました。 下記では、会期前期(6月27 日~ 8月2 日)と 後期( 8 月4 日~ 9 月6 日)の暁斎作品から、特に 象徴的な一点ずつを取り上げて紹介します。』
後期の代表作についての引用も掲載しておきます。
『巨大な猫の出現に、男性が2人、荷物も笠も落として、 びっくりしています。1人は頭を抱え、1人は大きくのけぞって います。 暁斎は、安政5(1858)年、27歳で「惺々狂斎(せいせい きょうさい)」と号し、こうした滑稽な戯画を描いて、世間に 名を馳せるようになります。 明治3(1870)年、酔った勢いで描いた絵が問題とされ、 狂斎が捕えられる事件が起き、狂斎はこれを機に号を 「暁斎」と改めました。 本作は、狂斎時代の暁斎が、日本橋の小間物問屋・ 勝田五兵衛のために描いた画帖に含まれ、化け猫伝説 を描いたものです。正統的な狩野派や諸派の作品も手掛け ながら、対照的なこうした戯画も得意としていたところに、 暁斎のユニークで型にはまらない画業が見て取れます。』
写真は 三菱一号館美術館入口の大型ボードとその一部の拡大です。
「狂ってたのは、俺か、時代か?」は、展示会のキャッチコピーですが、ユニークな暁斎作品を見事に言い得ています。
後期展示の代表作「惺々狂斎画帖(三)」で描いた化け猫伝説の戯画(上記引用文ご参照)