今回のタイトルは『徳川家康と甲賀忍者の戦国秘話・甲賀の知られざる生活』で講師が甲賀忍者の末裔の大伴原甲賀氏ということで、大勢の皆さんが興味をもってくださいました。忍者といえば講談やアニメの世界ではお馴染みですが、実際のところどういう人たちだったのか私たちには未知の世界です。35名の皆様のご参加ありがとうございました。

【序章】東京に残る江戸の甲賀・伊賀

 家康との縁で甲賀から17家が江戸に移住し、徳川直参として旗本、与力・同心や鉄砲百人組として活躍しました。彼らの居住した御茶ノ水や麹町、青山あたりにはいまでも甲賀の地名が残っています。四谷付近には伊賀町があります。西八王子には1000人の同心が住んでおり、千人町という地名が残っています。甲賀と伊賀で江戸城からの将軍の逃避ルートをおさえているのです。家康の深謀遠慮ですね。

1 甲賀と伊賀

 忍者といえば甲賀と伊賀。どちらも滋賀から奈良にかけての隣接した地域を生活圏にして友好関係を保ち、室町時代の後半から、自治組織で運営されていた。しかし両者には大きな違いがある。伊賀は武術が得意で軍事色が強く、組織は上位下達。いっぽう甲賀は薬と火薬・鉄砲を得意とし、血族中心の合議制である。甲賀には53家あり中心は大原と望月で、それぞれの家に同苗講という自治組織がある。大原家もいまも賛成多数でいろいろなことを決められている。

2 忍者と忍びの精神と忍術

 忍者というのは戦後の造語でかつては「しのび」とよんでいた。「志能便」は便聖徳太子が情報収集や物部氏征伐などに大伴細人を使った時の呼び名である。応仁の乱以降、全国がみだれ、京都から知識をもった人が多数逃げてきたことや修験者の薬草の知識の伝搬などもあり甲賀のしのびが発展してきた。

 精神としては戦いを避け安寧な生活をするために自衛の知識と情報収集で対応し、侵略は目的としない。生きていくための知恵として忍耐をもって平和と自然と和合する。心構えとしては大きなことをなしとげても何も残すなと戒める。ほまれのないのが忍びのほまれといわれている。

 忍術は昼間姿をさらし情報をとるのが陽忍、夜に気配を消して情報収集をするのが隠忍。陽忍のほうが多く姿は行商人、山伏、僧侶、虚無僧、大道芸人など。地方にいけばそこの人のようにする。薬売りは家の中に入り、調合もし、まちの噂も見聞きする。火矢は音や火など4タイプにわけて使ってきた。

 印は左手の指二本と右手の二本で印を結び精神を統一に使う。

 三重大学では忍者コースがあり、博士号がとれる。伊賀忍者研究会や国際忍者学会があり、海外でも注目をあつめている。 

3 甲賀忍者の生活

・生活圏には薬草が豊富。北方系の植物の南限で、南方系の植物の北限でもあり、琵琶湖に

は水生植物もあるので、日本でいちばん植物の数が多いところ。牛と馬も多かった。暮らしは、午前中は農業、午後は武芸、夜は製薬をし、農閑期にはそれを売りにいくというのが基本。これが近江商人の元になっている。

 製薬には文字や数字が必要なため、男女の区別なく8歳から14歳まで寺子屋教育を施した。

 いまでも医薬品、化粧品、医薬機器は滋賀県の一大産業である。

・現代の同苗講

 いまも一族の集まりをもっているのは大原だけでこれは維持したい。32箇条の掟書があり、大鳥神社に8月3日に集まり、直会をする。連判状ももちまわりで保管している。

4 徳川家康と大原一族

  上乃郷城の戦いで家康から依頼がきたのが両者の結びつきのきっかけになる。以後家康に2度甲賀は助けられる。甲賀からは長篠・設楽原の戦や本能寺の変後の岡崎への帰還を支援。伊賀越えとして知られているが実際は馬を使って甲賀をとおっている。秀吉に冷遇されときには、三河への移住も。その後伏見城の戦いでも鉄砲隊190人が参戦し、180人が死亡、10人だけが甲賀に戻った。うち2名が大原であった。江戸幕府ができてから家康に頼まれ17家が江戸に移住した。

  家康と甲賀は似ているようだ。忍耐強く生き、目標を持っている。家康は「欣求浄土」を旗印とし、甲賀は「和合と平和」をモットーとするのでお互いの信頼関係があった。だからこそ江戸でも自分の逃走ルート身辺警護をまかせたのであろう。東京に江戸の甲賀が残った。 

 忍者の暮らしとはどういうものかと思っていましたが、至極真っ当で民主的で平等で高い志をもった人たちの集団であることがよくわかりました。自分たちの暮らしを人にもらすなという一族の教えがあり、親しい友人たちにもご自分の出自を口にされなかったそうです。聖徳太子にまでさかのぼる壮大なしのびの歴史に感動しました。

【以下開催時のご案内の抜粋】

演 題 :「忍者の末裔が語る徳川家康と甲賀忍者の戦国秘話・甲賀の知られざる生活」

三日月会6月度例会は、『家康と甲賀忍者・大原一族』の著者であり、甲賀忍者の末裔の大伴原甲賀氏をお招きし、講演をしていただきます。戦国時代当時の一大絵巻である「長篠・設楽原の戦い」「神君甲賀・伊賀越え」「伏見城落城」「甲賀忍者の子孫が江戸幕府以降も活躍できた理由」を忍者の強かな生活術秘話と繋げながら紐解きます。

当時の甲賀が民主主義そして合議制であり、子供への教育は男女全員に行われ、忍びの多くは非常勤・在宅等という21世紀に通じる生活基盤が既に存在していました。 また、甲賀の生業の一つとされる薬業は、滋賀の近代的な一大産業に発展し現在に至っています。この源流には甲賀の薬草作り、薬売りという男女の分業活動が諸国の情報収集、諜報活動、謀略に繋がり、権力者から重用される任務を果たしました。当時の生活臭が感じられる甲賀忍者達の変装仕掛けの出陣など侍とは一線を画した内容も紹介されます。是非多くの皆様のご参加を賜りますよう、ご案内申し上げます。

                                記

日時 :  2024年6月1日(土曜日) 14時30分~15時45分 【14時開場】

場所 :  関西学院同窓会本部 銀座オフィス   東京都 中央区銀座三丁目10-9 KEC銀座ビル7階

アクセス : 都営浅草線「東銀座」A-8出口徒歩1分銀座線・丸の内線・日比谷線「銀座」駅A-12徒歩3分

会費 :  1000円 〈小ペットボトルの飲み物を用意致します。〉

講師 :  大伴原 甲賀 〈おおともはら こうが〉氏
    国際忍者学会会員。甲賀忍術研究会会員。
    2015年 薬事功労者 滋賀県知事賞受賞。 2017年 薬事功労者 厚生労働大臣賞受賞。
    著書『家康と甲賀忍者・大原一族』で昨年第53回滋賀県芸術文化祭の文芸出版賞を受賞。